寺山修司が、若い頃、短歌から世に出た人であったというのは、まだ短歌をしていないときには意外だった。
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少年時代から歌を詠んだ寺山修司
森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
いずれも、十五、六歳の時の作であるというから驚く。
それ以上に驚いたのは、これを見い出したのが、当時編集長をしていた中井英夫だったということである。
同本の後書きには、その頃の歌壇事情や、編集者としての中井の配慮も伺えて興味深いが、それ以上にこの後書きでの紹介文は、やはり幻想文学に身を置いた人ならでの文章である。
寺山修司の短歌作品代表作一覧
寺山修司の有名な短歌代表作品一覧 きらめく詩才の短歌の特徴
中井英夫の後書きから
寺山が十六年短歌を続けたということについて。
その年月は、あたかも掌から海へ届くまでの、雫の一たらしほどにもはかない時間といえる。だがこの雫は、決してただの水滴ではなく、もっとも香り高い美酒であり香油でもあって、その一滴がしたたり落ちるが早いか、海はたちまち薔薇いろにけぶり立ち、波は酩酊し、きらめき砕けながら「いと深きもの」の姿を現前させたのだった。---中井英夫
後年の作
上のように短歌を詠むのはやめて演劇に移ってしまったので、作品のほとんどは若い時のもので、「青春歌集」と呼ばれてもいる。
そのなかでも、やや後年の落ち着いた作も好きである。
手を置かん外套の肩欲しけれどねぎの匂える夕ぐれ帰る
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
寺山の歌の韻律
馬場あき子は寺山の歌の韻律について、次のように言う。
わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
きっちりとした三句切れで、下句に大きく読者の心を捉える、思いがけない展開がある。塚本の言葉でいえば、上下を結ぶ「見えない線」としての役割を、「いつも暗く」「霧深し」が果たしている。古くから言われてきた短歌の「腰」の部分である。
(「韻律から短歌の本質を問う」より。)
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
上の記載のある読み応えのあるシリーズです。