わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず
万葉集の有名な防人の歌の代表作品を解説・鑑賞します。また防人とは何か、東歌の特徴も併せて記します。
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わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず
読み:わがつまは いたくこいらし のむみずに かごさえみえて よにわすられず
作者と出典
万葉集4322・若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)
現代語訳
私の妻は私を深く思いこがれているに違いない。それで飲もうとする井戸の水の面にまで、妻の姿がありありと見えて、どうしても忘れられない
万葉集の原文
和我都麻波 伊多久古非良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受
句切れ
2句切れ
語彙と文法
・いたく・・・「とても」の意味の副詞
・恋ひらし・・・東国の方言 標準語なら「こふらし」
・影(かご)・・・方言 標準語なら「かげ」
・よに・・・「世に」 「たいそう。非常に。まったく」の意味の副詞
・忘られず・・・「わすられず」 忘る(基本形)+れ(可能「る」の未然形)+ず (打消しの助動詞)
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解説と鑑賞
一首に表されているのは、旅をしていて道のほとりの泉や井戸で水を飲もうとして、水の上にかがむと、水の面に妻の面影がありありと浮かぶ、という情景です。
おそらくは、自分の影か、または周りの物の影が、手を入れた水に輪をなしてゆらゆらと揺らめている、それが、妻の面影のように見える、という一つの錯覚です。
面白いことに、作者は、それを妻が自分に恋い焦がれるためだと思うのですが、これは当時の俗信のためです。
古代の人のこころ
古代の人の考え方で、恋人や家族間にあって、相手の顔が夢や鏡に現れるのは、相手が自分のことを恋しているからだという俗信があったようです。
人の姿が水に移るのは、自分がではなくて、恋い焦がれている人の魂が自分に会いに、肉体から抜けてここまで来てくれているという考え方です。
作者は主客を逆転してそのように思うのですが、自分の心と相手の心との間に境目がないのは、妻との関係が「境がない」と思うようなものであるからでしょう。
妻の面影が水に見えるから、それで自分は妻への思いがかき立てられて、それで自分はこんなにも妻を忘れられないのだ、そのように述べるのです。
「恋ひらし」「影」は東国方言
「恋ひらし」と「影」は、それぞれ東国の方言です。
通常の言葉であれば「恋ふらし」(読みは「こうらし」)、影は「かげ」と読みますが、東国では上記のように発音されていたと思われます。
これらの方言が、いっそう素朴に、当時の人の肉声を伝える趣があります。
遠江国(とおとうみのくに)の方言とされ、現在の静岡県西部、浜北市の作者と推測されています。
「防人歌」 一連の作品
この歌を含む遠江国・相模国一連8首 4321-4330の作品は下の通りです。
畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず
時々の花は咲けども何すれそ母とふ花の咲き出来ずけむ
遠江白羽の贄の浦と合ひてしあらば言も通はむ
父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごて行かむ
我が妻も絵に描きとらむ暇(いつま)もが旅行く我は見つつ偲はむ
大君の命恐(かしこ)み磯に触り海原(うなはら)渡る父母を置きて
八十国には難波に集ひ船飾り我がせむ日ろを見も人もがも
難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母なしに
防人とは税の一種
「防人」についての説明です。
防人(さきもり)とは、飛鳥時代から平安時代の間に課せられていた”税”の1つ”でした。
当時は、税金をお金ではなく、現物や労働で納めていたのですね。
防人を兵士の一種で、戦争をする人だと思われている面がありますが、防人というのは、天皇の命により、北九州の警護を担当する仕事であって、けっして戦争をしたわけではないのです。
当時の旅行は今よりも危険なものであり、徒歩で九州まで旅をする分の期間も長く、任務先で亡くなったり、生き別れになることも多くあったようです。
そのため、防人に出るというと、防人の家族たちは、二度と会えないかもしれないと思い、悲しみの情を余儀なくされたのです。
防人歌は大伴家持が編纂
また、これらの防人の歌を集めて、万葉集に書き留めたのは、大伴家持(大伴家持)という人です。
大伴家持は自分でも防人の歌を詠んでおり、万葉集を編纂にも関わった、万葉集の代表的な歌人の一人です。