斎藤茂吉「死にたまふ母」全作品59首に現代語訳と解説を添えて掲載します。
「死にたまふ母」は斎藤茂吉の短歌集『赤光』の代表作品です。
「死にたまふ母」全作品59首 斎藤茂吉『赤光』
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斎藤茂吉の短歌代表作品である「死にたまふ母」の全短歌を掲載します。
このページはその全部の短歌一覧インデックスです。各歌をクリックすると、それぞれの歌の詳細な解説をお読みになれます。
※斎藤茂吉については
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
「死にたまふ母」構成とその特徴
「死にたまふ母」は歌集『赤光』の中で「その1」から「その4」まであります。
作者斎藤茂吉が母の重病の報を売家取って、故郷へ到着するまで、そして、母が亡くなり仮装を執り行うところ。さらに、その後、酢川温泉で母の没後の悲しい心身をいやすところまでが、時間順に辿れるようになっています。
なお、「死にたまふ母」は「その2」がいちばん有名な歌が多い部分で、「死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」は「その2」に含まれます。
※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列していますので、合わせてご覧ください。
死にたまふ母 その1
「その1」部分の全部の現代語訳と解説をまとめて読むなら、下から
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斎藤茂吉 死にたまふ母其の1 「ひろき葉は」~「上の山の」短歌集『赤光』代表作
死にたまふ母その1のあらすじ
故郷山形を遠く離れてて東京に住む作者は、母が危篤であるとの知らせを受けて、実家のあるみちのく、山形県上山市に向かう。精神科医で多忙な作者は、夜にしか出立できない。車中の時間は長く、いろいろなものを見ながら作者は母への思いを巡らせる。作者は、中学校のときに親類の養子になって、早くから母と別れていたので、なおいっそう母への思慕がつのるのだ。母が命のあるうちに、とにかくも母を見たい、その一心で急ぎに急いで、家のある駅にたどり着くのだった。
---其の一
白ふぢの垂花(たりはな)ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも
みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目みんとぞただにいそげる
うちひさす都の夜(よる)にともる灯(ひ)のあかきを見つつこころ落ちゐず
ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに汗いでにけり
灯(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか
吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
沼の上にかぎろふ青き光よりわれの愁(うれへ)の来(こ)むと云ふかや 白龍湖
上(かみ)の山(やま)の停車場に下り若くしていまは鰥夫(やもを)のおとうとを見たり
死にたまふ母 その2
「その2」がいちばん有名な歌が多い部分です。
全部の現代語訳と解説をまとめて読むなら、下から
斎藤茂吉 死にたまふ母其の2 「はるばると」~「ひとり来て」短歌集『赤光』代表作
死にたまふ母その2のあらすじ
実家に到着した作者は、病床の母と対面するが、母は話すこともできないほど弱っていて、死のときが近づいているのがわかる。母の亡くなるまでを見守る作者は、母のそばをできるだけ離れずにいるが、弱っていく母を見ているのが耐え難く、蚕の部屋を見たりして気を紛らわし、夜は母の隣に床を敷いて添い寝をする。静けさの中聞こえてくる蛙の声は、作者の悲しみと重なり天まで届くかと思われたが、燕が軒に見える部屋の中、母はとうとう亡くなってしまう。
はるばると薬(くすり)をもちて来(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊(べ)の我が朝目(あさめ)には見ゆ
山いづる太陽光(たいやうくわう)を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり
死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる
桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり
春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか
死に近き母が額(ひたひ)を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな
母が目をしまし離(か)れ来て目守(まも)りたりあな悲しもよ蚕(かふこ)のねむり
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
いのちある人あつまりて我が母のいのち死行(しゆ)くを見たり死ゆくを
ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
死にたまふ母 その3
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斎藤茂吉 死にたまふ母其の3 「楢若葉」~「どくだみも」短歌集『赤光』代表作
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死にたまふ母その3のあらすじ
母の亡骸を悲しみとともに葬ろうと、一同は野辺の道を通って棺を焼き場へと運ぶ。作者は、母を焼くためのたいまつを自ら持って、母の棺に点火するのであった。母の棺を包む炎を見つめるが、まるで自分の悲しみもまた燃えさかるように思われる作者。歌を口ずさむ弟と共に燃える火を夜通し守り抜き、骨となってしまった母を集めて、明け方に葬りを終えるのだった。
楢若葉(ならわかば)てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は
日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未(いま)だ小さかりけり
葬(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
はふり火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかも
火を守(も)りてさ夜ふけぬれば弟は現身(うつしみ)のうたかなしく歌ふ
ひた心目守(まも)らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙はや
灰のなかに母をひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり
蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れしまひけり
うらうらと天(てん)に雲雀は啼きのぼり雪斑(はだ)らなる山に雲ゐず
どくだみも薊(あざみ)の花も燒けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)明(あ)けぬれば
死にたまふ母 その4
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斎藤茂吉 死にたまふ母其の4 「はるばると」~「ひとり来て」短歌集『赤光』代表作
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死にたまふ母その4のあらすじ
母の葬儀を終えたあとの作者は孤独な心持ちのまま、母を探すかのように故郷の山に分け入る。作者が東京に去る前の子供の頃に見た、見慣れた植物が作者の心を癒やしてくれるようだ。母に包まれるような温泉の湯の温み、素朴な故郷の食材に、悲しみは次第に沈潜していくが、母を失ったという作者の喪失感は癒やし難く、ふるさとの風物の中にも作者はしきりに「母よ母よ」と呼びかけるのだった。
かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ
ほのかなる通草(あけび)の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ
酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸(ひた)りゐて空にかがやく光を見たり
山かげに消(け)のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり
火のやまの麓にいづる酸(さん)の湯に一夜(ひとよ)ひたりてかなしみにけり
はるけくも峽(はざま)のやまに燃ゆる火のくれなゐと我(あ)が母と悲しき
寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々(くろぐろ)と通草(あけび)の花ちりにけり
見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷(こぶし)の花はほのかなるかも
蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり
遠天(をんてん)を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき
やま峽(かひ)に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香(か)の深くただよふ
湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり
山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ(五月作)
※ 旧漢字は現在使われている漢字に書き換え、旧かなは原文のまま。
「死にたまふ母」の説明
『赤光』は初版と改選版の二つがあります。当ブログの掲載は改選版に拠るものです。
初めて読まれる人にも理解しやすいように、それぞれに現代語訳と、語の説明や文法の品詞分解、注釈等を記しました。
現代語訳については上手に置き換えられていないものもありますが、本来訳文を読むためのものではないので、原作を読み進める手がかりとなさってください。
『赤光』と「死にたまふ母」について
斎藤茂吉の処女歌集。明治38年(1905年)~大正2年(1913年)の作品を集めて、大正2年(1913年)10月に東雲堂書店から刊行された。茂吉のもっともよく知られる代表的な歌集と言える。初版は834首が収録され、逆年代順の配列だったが、大正10年(1921年)発行の改選版では760首にまで削られ、年代順に改められた。その際改作や推敲が行われたため、初版と改選版の歌は部分的に異なっている。
『赤光』の題名と代表作
歌集名の『赤光』は、幼いころから仏教に親しんだ茂吉が、『仏説阿弥陀経』の『地中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔・・・』の部分からとったもの。
さらに、本歌集の中に頻繁に出てくる赤い色は茂吉のテーマカラーともいえる。
生母を失った際の「死にたまふ母」は『赤光』中の代表作とされる。次いで、恋人との出会いと別れの「おひろ」、伊藤左千夫の逝去の報を詠った「悲報来」も主要な連作となっている。
「死にたまふ母」の構成
「死にたまふ母」は其の1から其の4までの4部構成、全59首から成り、構成は以下の通りです。
其の1 母の重篤の報を受けて出立し、上山停車場に着くまで
其の2 母の傍で看護と死の看取り
其の3 火葬場行
其の4 蔵王温泉での休息