寺山修司の短歌の韻律と口語律「韻律から短歌の本質を問う」馬場あき子  

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寺山修司の短歌の韻律と口語律「韻律から短歌の本質を問う」馬場あき子

2018年4月20日

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寺山修司が、若い頃、短歌から世に出た人であったというのは、まだ短歌をしていないときには意外だった。

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少年時代から歌を詠んだ寺山修司

森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

いずれも、十五、六歳の時の作であるというから驚く。

それ以上に驚いたのは、これを見い出したのが、当時編集長をしていた中井英夫だったということである。

同本の後書きには、その頃の歌壇事情や、編集者としての中井の配慮も伺えて興味深いが、それ以上にこの後書きでの紹介文は、やはり幻想文学に身を置いた人ならでの文章である。

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中井英夫の後書きから

寺山が十六年短歌を続けたということについて。

その年月は、あたかも掌から海へ届くまでの、雫の一たらしほどにもはかない時間といえる。だがこの雫は、決してただの水滴ではなく、もっとも香り高い美酒であり香油でもあって、その一滴がしたたり落ちるが早いか、海はたちまち薔薇いろにけぶり立ち、波は酩酊し、きらめき砕けながら「いと深きもの」の姿を現前させたのだった。---中井英夫

 

後年の作

上のように短歌を詠むのはやめて演劇に移ってしまったので、作品のほとんどは若い時のもので、「青春歌集」と呼ばれてもいる。

そのなかでも、やや後年の落ち着いた作も好きである。

手を置かん外套の肩欲しけれどねぎの匂える夕ぐれ帰る

売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

寺山の歌の韻律

馬場あき子は寺山の歌の韻律について、次のように言う。

わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

きっちりとした三句切れで、下句に大きく読者の心を捉える、思いがけない展開がある。塚本の言葉でいえば、上下を結ぶ「見えない線」としての役割を、「いつも暗く」「霧深し」が果たしている。古くから言われてきた短歌の「腰」の部分である。
(「韻律から短歌の本質を問う」より。)

上の記載のある読み応えのあるシリーズです。




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