万葉集

「令和」序文作者 大伴旅人の「望郷の短歌・和歌」我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ

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新元号「令和」の由来する万葉集の「梅花の歌32首」の序文作者、大伴旅人の短歌代表作を引き続きご紹介していきます。

この記事では、九州の太宰府に赴任した大伴旅人が、都を思って詠んだ望郷の短歌を紹介します。

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大伴旅人「望郷歌」万葉集

万葉集の「帥(そち)大伴卿の歌五首」をご紹介、一首ずつ解説します。

我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ

読み:わがさかり またおちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなん

331 作者 大伴旅人

現代語訳

私の元気だった時代が、またもどってくることがあろうか。 ひょっとして奈良の都を見ずにおわるのではないだろうか

解説と鑑賞

「おちめやも」の「おつ」は「変若」と書いて、「若返る」の意味です。

「我が盛りまたをちめやも」は「わが若き盛りのときがもう一度よみがえってくれないだろうか」。

誰もが思う老いの感慨ではありながら、老いを惜しむ以上に、都を見ないで老いてしまうということを悔やんでいるのです。

「わが盛りまたをちめやも」が二句切れであり、勢いがあるため、「ほとほとに-」以下の吐息のような思いが、読むものの胸に伝わってきます。

 

我が命も常にあらぬか昔見し象(きさ)の小川を行きて見むため

読み:わがいのちも つねにあらぬか むかしみし きさのおがわを いきてみんため

332 作者 大伴旅人

現代語訳

私の命はいつまでもあってはくれないものか。昔見た象の小川を行って見るのに

解説と鑑賞

最初の歌のバリエーションです。「いつまでも若くいられれば、故郷の小川をもう一度見られるのに」ということです。

当時の、大宰府から奈良の都までの旅というのは、船旅と馬や徒歩で日にちもかかる大変なものでした。

その上、旅人の妻は任地の太宰府において、故郷に帰ることもなく亡くなってしまいましたので、いっそう上のような感慨が強かったのでしょう。

故郷から離れた見慣れない辺地で老いるということは、独特の心細も感じられたでしょう。

巻3には、同じ小川の名で「昔見し象の小川をいま見ればいよよ清けくなりにけるかも-332」があります。

斎藤茂吉の評

斎藤茂吉は、大伴旅人の歌について、

(旅人は)文学的にも素養の豊かな人であったので、きわめて自在に歌を作っているし、寧ろ思想的抒情詩という方面にも開拓していった人」

との長所と

「歌が明快なために、一首の声調に暈(うん)が少ないという欠点があった」と述べています。しかしながら、この歌については、「老に入った境涯の作として感慨も又深いものがある」と褒めています。

斎藤茂吉が、旅人のこの5首中で自著の『万葉集歌』に解説しているものは、前の歌とこの歌の2首になります。

 

浅茅原つばらつばらに物思(も)へば古りにし里し思ほゆるかも

読み:あさじはら つばらつばらに ものもえば ふりにしさとし おもほゆるかも

333 作者 大伴旅人

現代語訳

つくづくともの思いに沈んでいると、明日香の古家が思い出されることだ

解説と鑑賞

「あさじはら」は「つばらに」を引き出すための枕詞。

浅茅原というのは「茅-ちがや」の生い茂っているところ、原のことです。

ちがやの花穂のことを「ちばな」というので、「つばら」にかかる枕詞となり、この歌ではそれが上手に使われています。

「つばらつばら」の意味は、心に詳しく思う様子で、旧宅をつぶさに心に思い返している様子を表現しています。

岡野弘彦の現代語訳

歌人の岡野弘彦は、この歌の意味を次のように上手に説明しています。

あのちがやが、一面に生えている原、それではないけれども、こまごまと思い連ねて過ぎし日を思い返していると、あの古びてしまった吉野の里がつくづくと恋しく思い出されてくることだ。

一首で述べていることは短いのですが、枕詞を使って導くということは、その分上のように読み手にとっては時間をかけたものとなります。

それには、1の枕詞を含めて1-2句目7音をまるまる使う「つばらつばらに」が、長さと共に思いの深さを伝えるものとなっています。

 

忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

読み:わすれぐさ わがひもにつく かぐやまの ふりにしさとを わすれようとして

334 作者 大伴旅人

現代語訳

忘れ草を私の衣の下紐に付ける 香久山の故郷を忘れようとして

解説と鑑賞

忘れ草の原文は「萱草-かやぐさ」で、漢語の詩文では「庭に植えて、眺めて憂いを忘れる草」のことだそうです。

旅人の歌のモチーフは、中国の詩、漢詩に倣ったものが多いので、この歌においても、おそらくそのように使われたものでしょう。

故郷を忘れられない憂いを払おうとして、忘れ草をつけてみた、ということで、逆説的に、故郷への思いが胸を去らないことを表現しているものです。

 

我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にもありこそ

読み:わがいきは ひさにはあらじ ゆめのわだ せにはならずて ふちにもありこそ

335 作者 大伴旅人

現代語訳

私の旅はそう長いことではないだろう。吉野川の夢のわだよ、瀬にはならないで淵のままであってくれ

解説と鑑賞

「我が行く」は、大宰府に赴任していること。

「わだ」は入り江などの湾曲部であって、だんだん周囲が削られているうちに、「瀬」すなわち、川になるのですが、それがならないであってほしいということです。

九州の赴任が、それほど長くない、短期間で済んで故郷に帰って、夢に出てきている、そのままの川を見たいということです。

「わだ」を用いた有名な短歌には、柿本人麻呂の「楽浪の志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたも遭はめやも 31」の有名な歌があります。

以上、大伴旅人の望郷の短歌を「帥大伴卿の歌五首」から解説しました。

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