斎藤茂吉

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」松尾芭蕉の蝉の種類で斎藤茂吉が論争

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「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

芭蕉の有名な俳句に詠まれた蝉の種類は何蝉だったか。

斎藤茂吉の解釈が発端で論争になり、最終的に「ニイニイゼミ」だったということが判明していますが、蝉の種類以上に、斎藤茂吉が、この句を通して述べた”詩的真実”には極めて興味深いものがあります。

芭蕉の詠んだ蝉の種類、そして、蝉の声の違いによって見えてきた茂吉のこの句の解釈をお知らせします。

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閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声

今朝のテレビ朝日の朝のニュース番組のクイズコーナーで、松尾芭蕉の上の句に関するエピソードが伝えられました。

斎藤茂吉が、芭蕉の詠んだ蝉が「アブラゼミ」だったと解釈、それから論争になったというものです。

アブラゼミの声と名前の由来

「アブラゼミ」というのは、その鳴き声が、食べ物を油で揚げているときの音に似ているということから命名されたそうです。

しかし、果たしてこの蝉の声は「閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声」にマッチするものなのか。

その点が論争になったというエピソードが次の斎藤茂吉と小宮豊隆の論争です。

 

斎藤茂吉が蝉の種類の論争へ

芭蕉の上の句に出てくる「蝉」はこのアブラゼミだったと斎藤茂吉が書いたのは、随筆「童馬山房漫筆」。

その後、蝉がアブラゼミかどうかが論争となりました。時は1926~7年の時のことです。

そして、論争をした文人たちが一か所に集められ、議論を行うこととなったのです。

小宮豊隆と斎藤茂吉の異なる意見

以下wikipediaから

1926年、歌人の斎藤茂吉はこの句に出てくる蝉についてアブラゼミであると断定し、雑誌『改造』の9月号に書いた「童馬山房漫筆」に発表した。これをきっかけに蝉の種類についての文学論争が起こった。1927年、岩波書店の岩波茂雄は、この件について議論すべく、神田にある小料理屋「末花」にて一席を設け、茂吉をはじめ安倍能成、小宮豊隆、中勘助、河野与一、茅野蕭々、野上豊一郎といった文人を集めた。

 

小宮豊隆というのは、夏目漱石門下の独文学者です。

論争に決着をつけるために、文人たちが集まったわけですが、その場においても決着はつきませんでした。

茂吉の主張は、

茂吉はセミしぐれ(蝉時雨)のような群蝉の鳴くなかの静寂を芭蕉が感じ得たのだと思い、(蝉の種類は)強い鳴き声のアブラゼミであった。

それに対して小宮豊隆は、

「閑さ」「岩にしみ入る」という語はアブラゼミに合わない

という点を、アブラゼミではないとする理由の筆頭にあげ、さらに

「岩にしみ入る」と感じられるためには、声が細くて澄んでいて、糸筋のようにつづくかと思えば、ときどき撓(しわ)り(※注)が見えるようなニイニイゼミのほうが適切だと主張

※部分は、Wikipedia では「シオリ」となっていますが、斎藤茂吉は「立石寺の蝉」という小文で、この部分を「撓(しわ)り」と記載しています。

「撓」は「みだす/みだれる/たわめる/たわむ」と詠み、鳴き声がまっすぐ一本調子ではないということです。つまり、声に乱れがないのがアブラゼミですが、それは歌の内容に合わないというのが、小宮の説明だったのです。

芭蕉の句は立石寺で詠まれた

芭蕉がこの句を詠んだのは、立石寺。斎藤茂吉の故郷である山形にある有名なお寺です。

そこで茂吉が故郷に帰って現地調査の上、結果として、この季節には「アブラゼミは鳴いていない」ということが判明、「アブラゼミではなくニイニイゼミ」だということが結論付けられました。

歌の解釈というよりは、事実考証で論争に決着がついた形となったのです。

群生する蝉の「閑さ」という解釈

私としては蝉の種類は何でもよいと思いますし、事実考証は必ずしも正確でなくてもよいと思います。

注目したいのは、茂吉の主張をした点が、芭蕉が詠んだのが単体の蝉ではなく、群生するセミの鳴き声であり、その多くの蝉の声の聞こえる中での「閑さ」であったということです。

斎藤茂吉自身は、この「閑さや」ついては下のように説明しています。

蝉しぐれのような群蝉の鳴く中の静寂を芭蕉が感じ得たと思ったからで、また、一つ二つくらいの細いにいにい蝉の声をもって、岩に染み入ると吟ずるのは、あまり当然すぎておもしろくないと思ったからであった。―「立石寺の蝉」より

そしてそのように思ったのは、茂吉自身が、この詠まれた情景と、想定する芭蕉の感覚を「余程近代的に受け入れていたため」としています。

しかし、多くはセミの鳴く時期からニイニイゼミと判明するにしたがって、茂吉は上の自説を下のように訂正、

芭蕉の感覚は依然として元禄の俳人の感覚であったのだろうから、(中略)芭蕉はやはり「閑かさや」といって一つか二つのにいにい蝉を写生しているらしい

として、小宮の解釈の方が「良い」と結論付けています。

 

騒然として寂しき」古泉千樫の短歌

ここで、私が思い出すのは、斎藤茂吉が以前感想、または評を述べた古泉千樫の下の短歌です。

鷺の群かずかぎりなき鷺のむれ騒然として寂しきものを

古泉千樫の歌集『川のほとり』にある「鷺」一連の冒頭の歌。

斎藤茂吉はこれを評して、「その騒がしさの寂しさという捉えどころを語った時には、ひじょうに感心したが、『騒然としてさびしきものを』と言ってしまったのではつまらない」といったという記載があります。(柴生田稔の解説)

千樫は「鷺の群れ」を反復、その騒がしさを強調して、「寂しきものを」を結句に置いたたわけですが、茂吉はそのアイディアには「感心」を表明しています。

この論争があった1927年は、たまたま古泉千樫が亡くなった年ですが、とはいえ、芭蕉の歌を詠んだ時に、この千樫の歌が先行したわけではないと思います。

しかし、この短歌のモチーフは、芭蕉の句の茂吉の解釈とも極めて近いものがあります。

茂吉が「感心」をする、というのは、芭蕉においても、句そのものではなく、句の裏のこのような象徴的なモチーフであったのです。

終わりに

歌に詠まれたものが、何ゼミだったかをとらえるのは、研究の一部としては確かに正確であることが必要です。

しかし、解釈としては、それが芭蕉の意図とは違っていたとしても、茂吉の述べることの方も興味深いものがあります。

むしろ、茂吉にとっては、蝉の種類を解明をせずに、芭蕉のこの句を鑑賞していた方が有益であったかもしれません。

私にとっても、「空から降り来るような蝉の声の中にある透徹した静けさ」というこの解釈は、モチーフとして覚えておきたいと思わされるエピソードとなっているのです。

他に、この句に関しては、俳人の長谷川櫂氏の述べた、類似の解釈がありますので、興味のある方は合わせてご覧ください。

「閑かさや」の句に秘められた真実







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