鉄道と電車や汽車の短歌、10月14日は「鉄道の日」大正11年に制定されました。
古くから人々の生活と共にある駅や電車、今日の日めくり短歌は鉄道に関する短歌を集めてみました。
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作者:寺山修司
10月14日は「鉄道の日」
「鉄道の日」はかなり古くからあります。
「鉄道が国民に広く愛され、その役割についての理解と関心がより深まることを願い、日本国有鉄道が1922年(大正11年)に「鉄道記念日」として制定」
現代では、マイカーブームで移動の手段が車が主流になり、鉄道は以前より影が薄くなった感がありますが、むしろそれだけ鉄道がロマンを誘うものとなったともいえるかもしれません。
寺山修司「列車の中で生まれた」
寺山修司は、自らの出生について「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」としています。
もちろん、これは創作だと思いますが、青森の地において、遠方に働きにいった母親と離れていたこと、東京に憧れを持っていたことからも、汽車を詠んだ歌が多くあります。
特に初期の歌は、独特の叙情的な歌が多いです。
友のせて東京へゆく汽笛ならむ夕餉の秋刀魚買ひに出づれば
桃いれし籠に頬髭おしつけてチエホフの日の電車に揺らる
チエホフ祭のビラのはられし林檎の木かすかに揺るる汽車過ぐるたび
列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし
解説ページ
列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし 寺山修司解説と鑑賞
友のせて東京へゆく汽笛ならむ夕餉の秋刀魚買ひに出づれば 東京を恋いた寺山修司
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
作者:石川啄木
汽車や駅を詠んだ忘れられない作品はもうひとつ、石川啄木の上の短歌です。
停車場というのは駅のことで、啄木の故郷は岩手県、そのふるさと訛が聞けるというのは、おそらく上野駅のことでしょう。
そこにただ故郷の言葉を耳にしたいがために、人ごみにまぎれてみるという意味の歌です。
詳しい解説ページは
寺山修司の短歌代表作品一覧 きらめく詩才の短歌の特徴
石川啄木の汽車の歌
石川啄木は、北海道を含めて何度か転居をしたために、汽車の歌をたくさん詠んでいます。
雨に濡れし夜汽車の窓に映りたる山間の町のともしびの色
さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき
忘れ来し煙草を思ふ ゆけどゆけど 山なほ遠き雪の野の汽車
汽車の窓はるかに北に故郷の山見え来れば襟を正す
何となく汽車に乗りたく思ひしのみ 汽車を下りしにゆくところなし
みぞれ降る石狩の野の汽車に読みしツルゲエネフの物語かな
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雨に濡れし夜汽車の窓に映りたる山間の町のともしびの色
吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
作者:斎藤茂吉 歌集『赤光』死にたまふ母 其の1
「死にたまふ母」の汽車の短歌
斎藤茂吉の汽車の短歌であれば、処女歌集『赤光』の代表作「死にたまふ母」の「其の1」に母の元へ駆けつける汽車の中の様子が詠まれています。
たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
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斎藤茂吉「死にたまふ母」全短歌作品 現代語訳付き解説と鑑賞
斎藤茂吉の電車の短歌 『あらたま』以降
『あらたま』の電車の歌は印象に深い作品が多くあります。
赤電車場ずゑを差して走りたりわれの向かひの人はねむりぬ
みちのくに米(よね)とぼしとぞ小夜ふけし電車のなかに父をしぞ思ふ
電車とまるここは青山三丁目染屋(そめや)の紺に雪ふり消居り
ほうつとして電車をおりし現身の我の眉間に雪ふりしきる
晩夏のひかりしみとほる見附したむきむきに電車停電し居り
夜おそく電車のなかに兵ひとりしづかに居るは何かさびしき
いらだたしもよ朝の電車に乗り会へるひとのことごと罪なきごとし
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『あらたま』斎藤茂吉短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞
秋分の日の電車にて床にさす光とともに運ばれて行く
作者:佐藤佐太郎
現代の作品で良く引用される作品です。
この歌の解説は
秋分の日の電車にて床にさす光とともに運ばれて行く【日めくり短歌】
きょうの日めくり短歌は、「鉄道の日」にちなみ、寺山修司と石川啄木、斎藤茂吉他の鉄道に関連する短歌をご紹介しました。
それではまた!
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