新古今和歌集の撰者は藤原定家・寂蓮他6人 代表作を紹介  

広告 新古今集

新古今和歌集の撰者は藤原定家・寂蓮他6人 代表作を紹介

2022年1月27日

※当サイトは広告を含む場合があります

新古今和歌集の撰者は藤原定家を含む6人の歌人たちです。

新古今和歌集の撰者についてお知らせします。

スポンサーリンク




新古今和歌集とは

新古今和歌集は、鎌倉時代に後鳥羽院の勅命を受けて編纂された勅撰歌集です。

勅撰第8歌集で、1975首を掲載、「八代集」の最後の歌集といわれます。

新古今の時代は、もっとも和歌の盛んな時で、歌合(うたあわせ)と呼ばれる和歌の会が催され、貴族はこぞって歌合に参加、互いに腕前を競い合い、選りすぐりの歌人と和歌作品が生まれました。

関連記事:
新古今和歌集の特徴「新古今調」とは

 

新古今和歌集の撰者

後鳥羽院の勅撰第8集である新古今和歌集は、後鳥羽院によって、6人が定められていました。

  • 源通具
  • 六条有家
  • 藤原定家
  • 藤原家隆
  • 飛鳥井雅経
  • 寂蓮

このうち、寂蓮は和歌を集めている時点で亡くなったので実際の選歌の作業は、寂漣を除く5人で行われました。

・・・

万葉集・古今他4歌集の撰者一覧

古典の有名な歌集の年代の比較です。

歌集名 撰者
万葉集 大伴家持(編纂に関わった一人)
古今集 紀友則 紀貫之 凡河内躬恒 壬生忠岑
新古今和歌集 源通具・六条有家・藤原定家
藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮
百人一首 藤原定家

 

新古今和歌集のそれぞれの撰者について

新古今和歌集の撰者についての説明です。

源通具

みなもとの-みちとも 1171-1227 鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
承安(じょうあん)元年生まれ。源通親(みちちか)の次男。母は平教盛(のりもり)の娘。建仁(けんにん)元年(1201)参議。のち正二位,大納言。堀川大納言とよばれる。父とともに後鳥羽(ごとば)院歌壇で活躍し,和歌所寄人(よりゅうど),「新古今和歌集」撰者となった。「新古今和歌集」以下の勅撰集に37首はいる。

六条有家

1155-1216 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。
久寿2年生まれ。藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で、和歌所寄人(よりゅうど)、「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる

藤原定家

ふじわらていか 1162〜1241 鎌倉初期の歌人。
名は「さだいえ」とも。俊成の子。父のあとを継いで有心体の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。

藤原家隆

ふじわらのいえたか 1158-1237 鎌倉時代前期の公卿、歌人。「かりゅう」とも読む。幼名、雅隆。、権中納言光隆の子。宮内卿を経て、非参議従二位。和歌を藤原俊成に学んだ。『新古今和歌集』撰者の一人で、43首入集。

飛鳥井雅経

あすかいまさつね 1170-1221 鎌倉時代前期の公卿、歌人。難波頼経の子。藤原姓。飛鳥井家の祖。妻は大江広元の娘。『新古今和歌集』撰者の一人。和歌を藤原俊成に学び,和歌所寄人。『千五百番歌合』に参加。『新古今集』には 22首入集

寂蓮

じゃくれん 1139?-1202 平安最末期から鎌倉前期にかけての歌人。僧侶。俗名藤原定長(さだなが)。父は俊成の兄弟、醍醐寺阿闍梨俊海。俊成の養子となり、のちに出家。「新古今和歌集」の撰者の一人となったが。撰なかばで没。『千載和歌集』以下の勅撰集に117首入集。

 

新古今和歌集の撰者の代表歌

それぞれの撰者の代表的な和歌をあげます

源通具

梅の花誰が袖ふれし匂ひぞと春や昔の月に問はばや

出典:新古今和歌集 春 四六

意味:梅の花の香り、それは誰の袖が触れ匂いなのかと、昔と変わらない春の月に尋ねたい

六条有家

風わたる浅茅(あさぢ)がすゑの露にだにやどりもはてぬ宵のいなづま

出典:

新古今和歌集 秋歌上 377

意味:

風が吹き渡る浅茅の葉末のこぼれやすい露、その露がこぼれるまでの短い間でさえ最後まで宿ることのない宵の稲妻の光よ

藤原定家

こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ

出典

『新勅撰集』巻13・恋3・849

意味:
松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、私の身は来てはくれない人を想って、恋い焦がれているのです

この歌の詳しい解説
こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ 藤原定家

藤原定家の和歌一覧 代表作と有名な作品

藤原家隆

風そよぐ楢(なら)の小川の夕暮は禊(みそぎ)ぞ夏のしるしなりける

出典

『新勅撰集』夏・192 百人一首98

意味:

楢の小川と呼ばれる上賀茂神社の御手洗川では、風がそ葉を吹きそよがせ手秋の風情であるが、神社では夏の禊が行われるために夏であることを思い出させてくれる

この歌の解説記事

風そよぐ楢の小川の夕暮は禊ぞ夏のしるしなりける 百人一首98 藤原家隆

飛鳥井雅経

み吉野の山の秋風さ夜更けて古里寒く衣打つなり

出典

『新古今集』秋歌下・483 百人一首94

意味

吉野の山を秋風が吹き渡る。夜が更けて古い都の遠くから衣を打つ砧の寒い音が聞こえてくる

この歌の解説記事

み吉野の山の秋風さ夜更けて古里寒く衣打つなり 百人一首94 飛鳥井雅経

寂漣

村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ

出典

『新古今集』秋・483 百人一首87

意味

にわか雨のあとの濡れている真木の葉に、白い霧がかかっている秋の夕暮れよ

この歌の詳しい解説:

村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ 百人一首87 寂蓮法師

他に「三夕の歌」として有名な和歌

寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師

以上、新古今和歌集の撰者についてお知らせしました。




-新古今集

error: Content is protected !!