山上憶良は万葉の時代での特徴のある歌人の一人です。
山上憶良の万葉集の代表的な和歌を一覧にまとめます。
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山上憶良とは
山上憶良(やまのうえのおくら)は、万葉の時代の代表的な歌人の一人です。
万葉集で読めるのは、和歌75首があります。
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山上憶良の和歌の有名な作品
タイトルがついて有名なものが
・貧窮問答歌
・令反惑情歌(まとへるこころをかへさしむるうた)
・思子等歌(こらをおもふうた)
・哀世間難住歌(よのなかのとどみかたきことをかなしぶるうた)
にまとめられます。
このうち最も有名なのが、子らを思う歌です。
「瓜食(は)めば」の歌
瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ
作者と出典
山上憶良 やまのうえのおくら
「万葉集」803
現代語訳
瓜を食べると、子どものことが自然に思われて来る。栗を食べると、一層思われて来る。
いったい(その面影は)どこからやってきたものなのだろうか。近々と目に迫って現れて、とても安眠できない
その反歌も、長歌以上によく知られています。
銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
読み:
しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも
作者と出典
山上憶良 やまのうえのおくら
「万葉集」803
現代語訳
銀も金も玉も、いかに貴いものであろうとも、子どもという宝物に比べたら何のことがあろう
いずれも、子どもの大切さを、力を込めて歌いあげるというものですが、愛情の肯定的な面ばかりではなく、自分の意志だけではない、親の本能的な愛情を含む、相反する複雑な肉親の情も含まれています。
もう一つ憶良の歌で有名なのが、宴の中座のときに詠まれた歌です。
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ
読み おくららは いまはまからん こなくらん それそのははも わをまつらんそ
作者と出典:
山上憶良 万葉集 巻3 337
現代語訳:
私、憶良はもう退出しましょう。家では、今ごろ子供が泣いているでしょう。その子を負っている母もきっと私を待っているでしょうから
秋の野に咲きたる花を指折り(およびをり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花
-巻8 1537
憶良作の秋の七草の歌「山上臣憶良の、秋の野の花を詠みし歌2首」も有名なものとなっています。
萩の花尾花葛花(くずはな)なでしこの花おみなえしまた藤袴(ふじばかま)朝顔の花
-巻8 1538
もう一首は、七草を羅列した歌です。
貧窮問答歌は、長歌と反歌によるものです。
こちらは、反歌の短歌のみをあげます。
世間を憂しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
読み: よのなかを うしとやさしと おもえども とびたちかねつ とりにしあらねば
現代語訳:
世の中は憂いが多い、消え入りたいほどだと思ってみても、飛び去ることもままならない。鳥ではないのだから
作者と出典:
山上憶良
万葉集 巻8 893
「令反惑情歌」は、おそらく若い人に対して詠ったもので、心を導く内容となっています。
ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに
読み: ひさかたの あまじはとおし なおなおに いえにかえりて なりをしまさに
現代語訳:
志を抱いて天にも昇るつもりだろうが天への道は遠い。それよりも、家に帰って家業に励みなさい
作者と出典:
山上憶良
万葉集 巻8005 800
山上憶良について
奈良時代の官人、歌人。没年は733年(天平5)あるいはその数年後以内。歌集『類聚歌林(るいじゅうかりん)』の編者。出自は百済(くだら)の渡来人とする説もあるが不明。『万葉集』に残る作品は和歌75首(長歌11首、短歌63首、旋頭歌(せどうか)1首)、漢詩文12編(散文10編、詩2編)。貧窮問答歌・の他、「令反惑情歌」「思子等歌(こらをおもふうた)」「哀世間難住歌(よのなかのとどみかたきことをかなしぶるうた)」(巻5)、「沈痾自哀文(ぢんあじあいぶん)」等がある。―https://kotobank.jp/word/
山上憶良は、人間愛を表した歌人であるとも言われており、他の歌にも特徴が強く表れている。
山上憶良の歌の特徴
自身を含めた人間・人生を執拗(しつよう)に追究し、人間存在の悲しさ・いとおしさを訥々(とつとつ)とした口調で歌い上げる。花鳥風月や恋愛とは無縁で、当時の貴族和歌の世界とは異質の問題意識、真率な姿勢、大陸文化への深い造詣(ぞうけい)と深い人間洞察に基づく思想的に厚みのある作品が憶良を孤高の存在にしている。―https://kotobank.jp/word/