山上憶良の万葉集の代表作和歌 子どもへの愛と貧しさ  

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山上憶良の万葉集の代表作和歌 子どもへの愛と貧しさ

2022年3月14日

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山上憶良は万葉集の有名な歌人の中でも他にはない特徴のある歌人の一人です。

「瓜食めば」の子らを思う歌や貧窮問答歌など、山上憶良の万葉集の代表作の和歌を一覧にまとめ、人物像を探ります。

 

山上憶良とは

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山上憶良(やまのうえのおくら)は、万葉の時代の代表的な歌人の一人です。

万葉集で読める山上憶良の歌は、長歌とを含む和歌75首があります。

内訳は、長歌11首 短歌60首余 旋頭歌1首 漢詩文3首、憶良作との推定を含みます。

他の歌人については 万葉集の代表的な歌人一覧まとめ をお読みください。

山上憶良について

山上憶良 名前の読みは「やまのうえのおくら」。男性の歌人です。

生まれたのは660年ごろとされ、幼少のころ(663年)百済(くだら)が滅亡したため、百済から帰化した人、渡来人の子どもとされています。

漢文の能力が高く、朝廷の遣唐使書記に抜擢されたのち大宰府にも赴任。

同じく歌に秀でた大伴旅人と親交を深め、漢詩を含めた和歌をたくさん作りました、

山上憶良の和歌の特徴

漢文にも精通していたといわれる憶良の歌は、人間の愛や悲しみなどの感情を普遍的なレベルで詠ったというところに、大きな特徴があります。

個人の感情ではなく、もっと大きな広い範囲のことで、このような歌い方をした歌人は、万葉の時代には珍しいといえます。

 

山上憶良の和歌の有名な作品

山上憶良の作品の中で、タイトルがついて有名なものが以下の通りです。

  • 貧窮問答歌 (ひんきゅうもんどうか)
  • 令反惑情歌(まどへるこころをかへさしむるうた)
  • 思子等歌(こらをおもふうた)
  • 哀世間難住歌(よのなかのとどみかたきことをかなしぶるうた)

 

このうち憶良の代表作品として最も有名なのが、「子らを思う歌」です。

「瓜食めば」に始まるこの歌は、長歌で575の短歌よりも長い下のような歌となっています。

山上憶良の代表作和歌

和歌としてもっともよく知られるのが下の3首です。

  • 瓜食(うりは)めば子ども思ほゆ…の長歌
  • 銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
  • 憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ

 

それぞれの歌の解説を記します。

 

「瓜食めば」子らを思う歌

瓜食(うりは)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ

 

読み:うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものそ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ

作者と出典

山上憶良 やまのうえのおくら
「万葉集」803

現代語訳

瓜を食べると、子どものことが自然に思われて来る。栗を食べると、一層思われて来る。

いったい(その面影は)どこからやってきたものなのだろうか。近々と目に迫って現れて、とても安眠できない。

 

「瓜食めば」の意味

おもしろいところは、子どもへの愛を歌いながらも、最後は「とても安眠できない」としているところです。

子どもへの愛のために、眠りに支障があるという、まるで文句や苦情を述べているかのようです。

続くこの歌の反歌の短歌も、長歌以上によく知られています。

それが以下のものです。

 

銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも

読み:しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも

出典

山上憶良 やまのうえのおくら

「万葉集」803 反歌

現代語訳

銀も金も玉も、いかに貴いものであろうとも、子どもという宝物に比べたら何のことがあろう

解説

長歌も短歌もいずれも、子どもの大切さを、力を込めて歌いあげるというものですが、愛情の肯定的な面ばかりではなく、自分の意志だけではない、親の本能的な愛情を含む、相反する複雑な肉親の情も含まれています。

普遍的な愛を歌いながらも、人の心理の複雑さをも歌に取り入れる、このようなところに、山上憶良の歌の大きな特徴があるといえます。

※この歌の詳しい解説は
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ 山上憶良 万葉集 子等を思う歌

 

もう一つ憶良の歌で有名なのが、宴の中座のときに詠まれた以下の歌です。

憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ

読み おくららは いまはまからん こなくらん それそのははも わをまつらんそ

作者と出典:

山上憶良 万葉集 巻3 337

現代語訳:

私、憶良はもう退出しましょう。家では、今ごろ子供が泣いているでしょう。その子を負っている母もきっと私を待っているでしょうから

解説

この歌にも子どもが登場しますが、この歌は、子どもが主題ではありませんで、工夫が凝らされているところがあります。

※この歌の詳しい解説を読む

憶良らは今は罷らむ子泣くらむの解説

 

以下、万葉集の山上憶良の他の歌も見てみましょう。

秋の野に咲きたる花を指折り(およびをり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花

-巻8 1537

こちらは、「山上臣憶良の、秋の野の花を詠みし歌2首」、秋の野の花」とは秋の七草のことです。

以下の歌と合わせて、「山上臣憶良の、秋の野の花を詠みし歌2首」は、いずれも有名なものとなっています。

 

萩の花尾花葛花(くずはな)なでしこの花おみなえしまた藤袴(ふじばかま)朝顔の花

-巻8 1538

もう一首は、七草を羅列した歌です。

解説記事:
秋の七草は万葉集の山上憶良の短歌 「秋の野の花を詠む歌」

 

「貧窮問答歌」山上憶良

貧窮問答歌は、長歌と反歌によるもので、貧しさによる苦しみを詠むという万葉集での異例の作品といえます。

 

世間を憂しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

読み: よのなかを うしとやさしと おもえども とびたちかねつ とりにしあらねば

現代語訳:

世の中は憂いが多い、消え入りたいほどだと思ってみても、飛び去ることもままならない。鳥ではないのだから

作者と出典:

山上憶良

万葉集 巻8 893

※この歌の詳しい解説は

世間を憂しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 山上憶良

貧窮問答歌の長歌の解説はこちらに記しています。

貧窮問答歌の訳と解説

 

「令反惑情歌」山上憶良

「令反惑情歌」は、おそらく若い人に対して詠ったもので、心を導く説話的な内容の歌です。

ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに

読み: ひさかたの あまじはとおし なおなおに いえにかえりて なりをしまさに

現代語訳:

志を抱いて天にも昇るつもりだろうが天への道は遠い。それよりも、家に帰って家業に励みなさい

作者と出典:

山上憶良

万葉集 巻5-800

いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ

読み: いざこどもはやくやまとへおほとものみつのはままつまちこひぬらむ

現代語訳:

さあ皆の者よ、早く日本に帰ろう。大伴の御津の浜松もその名の通りきっと、我々が帰るのを待ちわびていることだろう

作者と出典:

山上憶良

万葉集 1-63

解説記事:
いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ 山上憶良

山上憶良の生涯

山上憶良の生涯についてわかりやすくまとめます。

性別

男性

出身

百済からの渡来人とされる。帰化したのは推定3歳のころ

経歴と役職

42歳で遣唐使少録 (書記次官)として、翌年遣唐使出発

帰国後に、正六位になったとされるが、それほど出世はしなかった

62歳 令侍東宮(教育係)

67歳 筑前守に就任 大宰府赴任の大伴旅人と親交

73歳 帰京 翌年死去したとされる。

死因

病死とされる

その数カ月前に遅く授かった子供を亡くしており、その歌が残されている。

山上憶良の漢詩

渡来人であったらしく漢詩に大変たけていたため書記に任命されたといわれる。

漢詩は万葉集に3文あり、最も有名なのが、大伴旅人の妻を歌ったとされる「愛河の波浪は」で始まる「日本挽歌」の七言詩。

山上憶良の人物像

山上憶良がどのような人物像だったのかは作品から以下のように推し量れます。

万葉集は恋愛の歌が大変多く、それ以外にも個人の感情を詠んだものが大半を占める中で、山上憶良は、まったく違った広い視点を持つ和歌を詠んだということはたいへん特徴的なことです。

渡来人として苦労した経験や、それだから漢詩にたけていたこと、また、その語学力を元に抜擢され、遣唐使として外国に行ったことなどの経験も、歌の主題に反映していると思われます。

恋愛の歌、自分自身の出来事、天皇をほめたたえる歌、などはほとんどが貴族社会の範囲内のことです。

よく万葉集は貴族から平民までの歌を含むと言われていますが、実際には読み書きの可能な貴族とそれに近い人たちの歌が多く、その中で歌の主題はほぼ一定しています。

そのような中で、山上憶良は美しい花や雅な風景などではなく、税を取り立てられる側の貧しい農民や九州に派遣された防人、貧しい家族の姿、家庭の妻や子を詠みましたが、それらは決してそれまで取り上げられていた貴族的な主題ではありません。

その他にも実生活のつらい局面である愛児を亡くした時の様子や、妻の死、自らの老いや病を詠むことを通して、生きることの意味を問い続けました。

万葉集にはこのような哲学的、社会的ともいえる主題を歌に詠もうした歌人は他にありません。

単に美しい良い歌、優れた歌だけを詠もうとしたのではない山上憶良は万葉の時代を超える生粋の歌人といえるのです。




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