瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ 山上憶良 子らを思う歌  

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瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ 山上憶良 子らを思う歌

2019年11月21日

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「瓜食)めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」で始まる山上憶良作の短歌、万葉集「子等を思う歌」の、長歌部分の現代語訳と解説、鑑賞のポイントを掲載します。

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「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」全文

瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ

山上憶良(やまのうえのおくら)の「子等を思ふ歌」の全文です。

万葉集には短歌の形の歌の他、長歌という長い歌があります。

上記は「子らを思う歌」の長歌の部分です。

この長歌と短歌の構成は、「序文-長歌-反歌(短歌)」となっており、長歌と反歌は、漢文風のやや長い序文の後に置かれています。

山上憶良の短歌のうち、子どもの短歌としてもっとも有名な一首である「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」は、上の長歌のあとの「反歌」の短歌として置かれているものです。

この記事では、その長歌の部分の解説をします。

短歌と序文については、下の記事をご覧ください。

関連記事:「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」山上憶良 子等を思う歌

山上憶良の代表作を一度に読むには

関連記事:山上憶良の万葉集の代表的な和歌 子どもへの愛と貧しさ

 

「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」の解説

瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
安眠(やすい)し寝(な)さぬ

 

読み:うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものそ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ

作者と出典

山上憶良 やまのうえのおくら
「万葉集」803

現代語訳

瓜を食べると、子どものことが自然に思われて来る。栗を食べると、一層思われて来る。

いったい(その面影は)どこからやってきたものなのだろうか。近々と目に迫って現れて、とても安眠できない

表現技法

  • 句切れなし ・・・長歌には句切れはありません
  • 対句法 ・・・
    「瓜食(は)めば子ども思ほゆ」「栗食めばまして偲はゆ」の部分が対句

語の解説

・瓜…まくわうりのこと。
この時代には、正倉院の文書にも「黄瓜」の言葉があり、当時の瓜は、外皮が黄色だったと思われる

・子ども…「ども」は複数を表す接尾語。「子等」の「等(ら)」も同じく複数を表す言葉

例:
あみの浦に 船乗りすらむ 娘子(ヲトメ)が玉裳の裾に潮満つらむか   柿本人麻呂・万葉集巻一・40

・思ほゆ・偲(しぬ)はゆ…「ゆ」は自発を表す 「思われる」の意味。

・いづくより…「どんな宿縁で」。仏典にある表現と思われる

・眼交(まなかい)…「目の前に」

・もとな…「むやみに」「やたら」

・安眠しなさぬ 安眠させない

なさぬの「なす」は「寝ぬ」の使役動詞 「ぬ」は打ち消し

 

「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」の序文

この短歌には、下のような漢文の序文がついています。

子らを思へる歌一首并せて序

釈迦如来(しゃかにょらい)の、金口(こんく)に正に説(と)きたまはく「等しく衆生(しゆうじよう)を思ふことは、羅候羅(らごら)の如し」と。又説きたまはく「愛しみは子に過ぎたることなし」と。至極(しごく)の大聖(たいしやう)すら、尚(な)ほ子を愛したまうこころあり。況(いは)むや世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)の、誰か子を愛せずあらめや。」

上の序文の意味の最も大切なところは下線部の

「釈迦、すなわち至極の聖人ですら、なお子どもを愛する心がある。まして我々普通に人間は誰が児を愛しまないでいられようか」

というところです。

「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」の背景

山上憶良は上記の「子どもへの愛」の部分に注目していたと思われます。

当時のこれらの仏教に関連する書物は、中国から伝わったものであり漢文で書かれていました。

日本語のものを日本語で書き直すのではなく、漢文で経に書かれていた釈迦の言葉を、歌の上にも表したものが上の歌となります。

山上憶良の仏典の言葉を使った歌は、万葉集の他の歌にも見られます。

「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ」の鑑賞

この和歌を詳しく鑑賞していきます。

聖人の子どもへの「愛」

この歌における特色は、子どもへの愛が、「愛情」ではなくて、愛執といった種類の感情で複雑であるということです。

「大聖(たいしやう)すら、尚(な)ほ子を愛したまうこころあり」「誰か子を愛せずあらめや」

「聖人であっても子供を愛する心は変わらない」「子を愛さないでいられようか」の愛は、聖人である釈迦が主語となっています。

一般の子どもへの「愛」

上の部分はごく普通の愛情として詠めますが、長歌の方では、この愛情の趣はいくらか変わってきます。

「いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて安眠(やすい)し寝(な)さぬ」

(訳)いったい(その面影は)どこからやってきたものなのだろうか。近々と目に迫って現れて、とても安眠できない

をみると、作者の意に反して、眠ろうと思っても気がかりで眠れない。

まるで、恋愛の対象で忘れられない相手でもあるように、子どもが気がかりで面影として迫ってくるいくらか特異な存在として描かれていることに気がつきます。

仏教と時代背景

「瓜を食べても栗を食べても」何を見ようが聞こうが、子どものことが思われるというのはともかく、忘れようとしても、幻のように迫ってきて離れず眠れないほどだ、というのは、まるで子どもが困った存在であるかのようにとらえられています。

つまり、単にほのぼのとした子への愛をうたったものではなく、仏教でいう煩悩や、愛執というに近い心境です。

「子どもがどこからきたものか」というのも、仏教の輪廻や運命を思わせるものです。

この歌は、多く仏教にインスピレーションを得ているということは間違いのないところです。

作者の気持ち

強い愛情のとらわれがこの長歌の主題です。

この歌を詠んだ作者の思いは、子どもへの愛情を強く持っていたのには違いありません。

上のような子供にとらわれた状態を困ったことだとして俯瞰して自分をながめているというのではなく、もっと主情的、主観的で揺るがしがたいものとなっています。

「瓜食めば」の時代背景

万葉集の時代にはこのような「父親の愛情」や「子どもが宝である」という表現や考え方はなかったのです。

今の時代なら「親バカ」という言葉もありますが、そのような親子関係を外側から見る考え方がまだなかったのです。

なので、作者山上憶良は、仏教に見られる「衆生への愛」の記載を手本に、それを「子どもへの愛」として表そうとしたものと思われます。

「瓜食めば」の反歌

そしてこの後の反歌である短歌においては、「子どもは銀にも金にも勝る宝である」という転換をなして終わります。

今ならば容易に理解できる子への愛情ですが、他にこのように書かれたものはなく、山上憶良が「父親の子どもへの愛」を表現しようとしたものは、この時代においては独創的な考えでした。

また、それを和歌のモチーフとして表現しようとしたのも、山上憶良が最初であったと思われます。

「瓜食めば」の感想

子どもを思って夜も眠れないというのは困ったお父さんに見えますが、山上憶良はそれを肯定しています。仏教の聖人であっても子どもへの愛や迷いがあるもので、「凡人ならなおさら」というのですから、自らもそれを自分に許そうというのでしょう。

そのような前置きをした上で「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」の子どもは宝であるよ」という歌が続くのです。「憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ の歌も、家族を詠んだ歌であり、これも万葉の時代にはむしろ珍しい歌なのです。山上憶良は万葉の時代のマイホームパパでもあったのでしょう。

斎藤茂吉の「瓜食めば」の感想と評

斎藤茂吉は、『万葉秀歌』の中で、この歌についてはたいそうほめて、下のように言っています。

この長歌は憶良の歌としては第一等である。簡潔で、飽くまで実事を歌い、おそらく歌全体が憶良の正体と合致したものであろう。―『万葉秀歌』より

山上憶良の他の和歌

銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも

ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに

世間を憂しと恥しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ

山上憶良の代表作である「子らを思う歌」、ここではあえて長歌と、反歌である短歌を分けて書いていますが、この歌の短歌の方の記事も併せてご覧ください。

「銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」子等を思う歌




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