吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり 源実朝の有名な和歌より代表作和歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり
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読み:ふくかぜの すずしくもあるか おのずから やまの せみなきて あきはきにけり
作者と出典
源実朝 (みなもとのさねとも)
金槐和歌集
現代語訳と意味:
吹く風がなんと涼しく感じられるものか。ひとりでに山の蝉が鳴いて秋が来たのだなあ
修辞と句切れ
2句切れ
字余り
語句
・「か」「けり」はともに詠嘆
・おのずから…辞書での意味は「ひとりでにそうなるさま。自然。おのずと。」であるが、ここでは「いつのまにか」と訳すのが良い
「涼しくもあるか」の品詞分解
・涼し…形容詞基本形
・「も」…強意の格助詞 とても涼しい
・あり…ラ変動詞
・「か」…詠嘆の終助詞「…だなあ であるよ」
全体の意味は「涼しくなったなあ」という感慨を表す。
解説
「寒蝉鳴」の題詞がある。
初句は定家本は「吹く風の」貞享本は「吹く風は」の違いがある。
この和歌の本歌どり
斎藤茂吉は後鳥羽院の
山の蝉なきて秋こそふけにけれ木々の梢の色まさりゆく
の影響を指摘している。
他には古今集の紀貫之と、新古今集藤原清輔にそれぞれ
川風の涼しくもあるかうちよする浪とともにや秋は立つらん
おのづから涼くもあるか夏衣日もゆふ暮の雨のなごりに
がある。
この和歌の意味
風が冷たくなったことにふと気がつくと、作者に同調するかのように秋の蝉が細い声で鳴き始め、ここで秋の到来を強く実感するという情景。
作者の感じが「秋」という季節に定まっていく過程が無理なく自然に現れている
蝉の種類は
蝉の種類は、詞書の「寒蝉 かんぜみ」とは『和名抄』によればツクツクボウシを表す。
斎藤茂吉の解説ではそれを踏まえて「ヒグラシ」をもあげて、どちらでもよいとしている。
この和歌の構成
初句の「吹く風の涼しくもあるか」は、単に風の冷たさという作者の体感する個人の感慨を表している。
ここでの詠嘆は「風が冷たい」というだけで、季節にはまだ結びついていない。
そのあと蝉が鳴くのだが、その間に「おのづから」をはさみ、いかにも偶然に蝉の声が情景にかぶさった様を表している。
読む人は蝉の声に空間を感じられるだろう。
蝉の声は作者の体感に沿うものであり、そこから「秋は来にけり」との感慨に至る。
ふと感じた作者個人の思いが蝉の声を介して全体に広がっていくその過程と、思いの広がりが良い。
「おのづから」がポイント
「吹く風の涼しくもあるか」の2句までが作者の感じで、そこから作者以外の外界にある蝉に転ずるのに「おのづから」が挟まれる。
いきなり「山の蝉」ではなくて、おもむろにはさまれる「おのづから」が良い。
この句を転換点として、作者一人と蝉、一人と山、季節の中の人へ、広い視点へと世界が広がっていく。
その過程が季節の変化、秋という季節の到来をイメージさせる。
斎藤茂吉の評
一種の意味は吹いている風はもうこんなに涼しくなったことか。いつのまにか山の蝉が鳴くようになって秋が来たというのであって、従来調べ高い歌だとせられたが実際そうであった。大きなゆらぎのある豊かにして高い匂いのする、めでたい歌である。(中略)
この歌の「おのずから」という副詞のうまいものだが、実朝はこの「おのずから」を好んだとみえ、6たびばかり使っている。
源実朝には他にも「たまくしげ」で始まる
たまくしげ箱根のみうみけけれあれやふた国かけて中にたゆたふ
も有名な歌として知られている。
源実朝の歌人解説
源実朝 みなもとのさねとも 1192-1219
または 鎌倉右大臣 かまくらのうだいじん
源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。源頼朝の子。
将軍でありながら、「天性の歌人」と評されている。藤原定家に師事。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献された。
万葉調の歌人としても名だかく、後世、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉らによって高く評価されている。歌集は『金槐和歌集』。
源実朝の他の代表作和歌
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 百人一首93
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる 608
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも 693
炎のみ虚空に見てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし 615
くれないの千入(ちしほ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 633