春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなさ 源実朝の『金塊集』の有名な代表作の和歌より、実朝の代表作と言われる短歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなさ
読み:はるがすみ たつたのやまの さくらばな おぼつかなきを しるひとのなさ
作者と出典
源実朝 (みなもとのさねとも) 作者名は 鎌倉右大臣実朝
金塊集(きんかいしゅう)巻之下 (六九三)
現代語訳と意味:
春霞が立った立田山に咲く桜の花ではないが、そのように初恋の心がおぼつかないことを思っている相手はもちろん誰も知らない
句切れ
3句切れ
修辞
掛詞 「立つ」と「立田山」
解説
金槐集には「初恋の心を」との詞書がある。
「春霞」は、春先に霧や靄(もや)などによって 景色がぼんやりと見える状態のこと。
また、「春霞」の中に咲く桜の花のおぼろに見える様子を、初恋の夢うつつの心境をに重ねたものだろう。
「おぼつかなき」は「おぼつかなし」の形容詞の名詞形。
恋に落ちたことを周りの人はもとより、思っている当の相手も知ることはない。
まだ思い始めの孤独な心の状態を詠んでいる。
金槐和歌集の恋の部
金槐和歌集には「恋の部」があり、他にも恋愛の歌がある。
わが恋は深山の松に這う蔦の繁きを人の問わずぞありける
この歌は序詞と掛詞が使われており、万葉調が強調される実朝だが古今調の技巧的な歌もある。
意味は、「私の恋は深山の松に蔦が這い上るように激しいのに人は問いてもわかってもくれない」。
上の歌と同じくまだ心に秘めた状態である恋を詠ったもの。
源実朝の歌人解説
源実朝 みなもとのさねとも 1192-1219
または 鎌倉右大臣 かまくらのうだいじん
源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。源頼朝の子。
将軍でありながら、「天性の歌人」と評されている。藤原定家に師事。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献された。
万葉調の歌人としても名だかく、後世、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉らによって高く評価されている。歌集は『金槐和歌集』。
源実朝の他の代表作和歌
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 百人一首93
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる 608
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも 693
炎のみ虚空に見てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし 615
くれないの千入(ちしほ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 633