薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなし声やしたると
「和泉式部日記」、平安時代の女流歌人の和泉式部が記した日記の「夢よりもはかなき世の中に」の部分の和歌の現代語訳と解説を記します。
スポンサーリンク
「薫る香に」の背景とあらすじ
「夢よりもはかなき世の中を」の中に詠まれている和歌の解説です。
「夢よりもはかなき世の中を」の語含まれるのは、この冒頭の地の文で、その部分は、
原文)夢よりもはかなき世の中を、嘆きわびつつ明かし暮すほどに、四月十余日にもなりぬれば、木の下暗がりもてゆく。
(現代語訳)
夢よりもはかない世の中を、嘆きながら暮らしているうちに4月10日も過ぎることとなり、木下も茂る葉陰で、暗く見えるようになった。
というもので、これが日記の始まりです。
こうして、4月の青葉を眺めている所に、帥宮の使いが橘の花をもってやってくるところから、二人のやりとりになる物語が始まります。
薫る香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなし声やしたると
現代語訳の読み:かおるかに よそうるよりは ほととぎす きかばやおなし こえやしたると
作者と出典
『和泉式部日記』 作者は和泉式部が通説
歌の現代語訳と意味
花橘の香は昔の人を思い出させると言いますが、それよりも、ほととぎすの声を聞きたいものです。同じ声がするのか
意訳
花の香りにつけて宮様を思い出すよりは、いっそお会いしてあなたの声をうかがってみたいものです
語と文法
初句の「よそふる」には2つの説があります。
「よそふる」の解釈
- よそふる…漢字は「寄そふ・比そふ」。「よそふる」は連体形で、意味は「関係づける、かこつける。なぞらえる、比べる」
- よそふ…漢字は「装う」。香りをまとう。香りを焚きしめた衣服をまとうこと。ここではその香りに故人を思い出すこと
- 聞かばや…基本形「聞く」の未然形+終助詞「ばや」。意味は希望を表す
- おなし…「同じ」の清音
- 声や…「や」は疑問の終助詞
- したると…「し」はサ変動詞「す」の連用形+ たる(完了の助動詞「たり」の連体形)
和歌の解説
物語のもっとも最初に提示される「女」こと和泉式部の贈る歌。
この歌が詠まれた次第の前後は、和泉式部の恋愛の相手となる、帥宮(そちみや)のところに仕えている舎人(とねり)が、和泉式部を訪ねて来て話をする場面です。
すると、帥宮が橘の花を舎人に託して「これを持って参って、どうご覧になりますかと言って差しあげなさい。」と言った、その使いで来たことが分かります。
橘の花と「昔の人」の関連
花を送るということは、つづまりは恋愛感情の表明と、その返事を聞いて来いということです。
橘の花を見た場面、
橘の花を取り出でたれば、「昔の人の。」と言はれて、
ると、主人公である和泉式部と思われる「女」は「昔の人の。」と口に出します。
「昔の人」は帥宮の兄で亡くなった宮を差しますが、なぜ、橘の花が「昔の人」なのかというと、古今和歌集の「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」を踏まえた連想です。
「夏の5月を待ってやっと咲いた花橘の香りを嗅ぐと、昔親しんだ人の袖の香りがするようで、懐かしい思いになる」
作者の女性は歌人の和泉式部ですので、そのようなことにも十分に知識があることをそこで示しています。
一方、送った帥宮の方も、昔の人のよすがである橘の花、つまり兄への思いを含めて、「どうご覧になりますか」と問いている。
そこで、返事として詠まれたのが上にあげた最初の歌です。
「薫る香によそふるよりは」の意味
歌の冒頭「薫る香によそふるよりは」の「よそふる」は漢字は「寄そふ・比そふ」。
「よそふる」はその連体形で、意味は「関係づける、かこつける。なぞらえる、比べる」とする説がある他、「香りをまとう」の意味の「装う」もあります。
「薫る香によそふるよりは」の意味は、花の香りに昔の人を思い出すよりも、また舎人の伝聞ではなくて、実際に帥宮の声が聴きたいという意図を表す返事です。
「よそふ」がどちらにしても、花を贈られたことをきっかけに、昔の人ではなく、送り主である帥宮への関心を示し、「「あなたにお会いしたい」という意向をぼんやりとですが、示したこととなります。
「おなし声やしたると」は、帥宮は亡き君の弟ですので、「兄と同じ声なのかどうか」と、こちらもほととぎすになぞらえた返事をしています。
「薫る香」にの評
この歌については、
「貴方様が故兄宮と同様、私に愛情を持っていられるなら、お目にかかって私の今の悲しみを慰めたいと存じます」と大胆に帥の宮の愛情を求めた当時の女性としては極めて破格な率直な歌である。―『和泉式部の歌』上村悦子
他にも、与謝野晶子は
一種の象徴帯の歌です。彼女の歌としては、拙い方に属するものですが、熱情と才気とはこういう即吟にもあふれています『和泉式部新考』
…
率直な愛欲の表明、恋愛のへの期待の文学科という点ではやはりかの女の代表作のひとつと見ていい ―寺田透
「和泉式部日記」について
和泉式部日記は、平安時代中期の女流歌人、和泉式部(いずみしきぶ)が記した作品です。
内容は、1003年(長保5)4月から翌1004年1月にかけて、和泉式部と帥宮敦道(そちのみやあつみち)親王との恋愛の経緯を、歌物語風につづったもの。
重要なのは、その中に含まれる147首もの和歌作品です。優れた歌人である和泉式部のその贈答歌のやりとりで二人の心情を浮き立たせるものとなっています。
和泉式部について
和泉 式部は、平安時代中期の歌人。
中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人.
すぐれた女流の抒情歌人として知られ、1500余首の歌を残した。
他に「和泉式部日記」がある。
和泉式部の他の和歌
今はただそよその事と思ひ出でて忘るばかりの憂きふしもがな
捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ君に馴れにし我が身とおもへば
今宵さへあらばかくこそ思ほえめ今日暮れぬまの命ともがな
白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへば久しかりけり
とどめおきてだれをあわれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり