藤原俊成の代表作の和歌作品、秀歌一覧をまとめ、歌風とその特徴、和歌の理念である「幽玄」についての解説を記します。
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藤原俊成の和歌一覧
藤原俊成は、平安、鎌倉時代の歌人。藤原定家の父として、役人としては不遇ながら、優れた歌人として中世の和歌の表現形式に大きな業績を残した人物です。
歌論として「幽玄」という概念は、和歌だけではなく、多方面に大きな影響を与えたことでも知られています。
藤原俊成の和歌代表作品
藤原俊成の代表作をあげ、一首ずつ現代語訳を記します。
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
現代語での読み: よのなかよ みちこそなけれ おもいいる やまのおくにも しかぞなくなる
作者と出典
皇太后宮大夫俊成 藤原俊成(ふじわらのとしなり)
百人一首83番 『千載集』雑・1148
現代語訳と意味
ああこの世、世俗を離れるべく思いつめて入り込んだ山の奥にも、鹿が悲しげに鳴いているようだ。
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
読み: ゆうされば のべのあきかぜ みにしみて うずら なくなり ふかくさのさと
作者と出典
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
千載和歌集 秋上259
現代語訳と意味
夕方になると野原を吹く秋風が身に染みて、鶉が鳴いている。この深草の里には
誰かまた花橘に思ひ出でむ我も昔の人となりなば
読み: たれかまた はなたちばなに おもいいでむ われもむかしの ひととなりなば
作者と出典
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
新古今和歌集 巻第三 夏歌 238
現代語訳と意味
私が花橘の香をかいで昔の人を思い出すのと同じように、私が死んだあとに、このように私のことを誰かが思い出すのだろうか。
またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの
読み: またやみん かたののみのの さくらがり はるのゆきちる はるのあけぼの
作者と出典
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
新古今集 春下114
現代語訳と意味
また見ることがあろうか。交野の御狩り場の桜狩りの、雪のように花が散る、春のあけぼののこの美しいひとときを
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る
読み: おもいあまり そなたのそらを ながむれば かすみをわけて はるさめぞふる
作者と出典
皇太后宮大夫俊成 藤原俊成(ふじわらのとしなり)
新古今集 1107
現代語訳と意味
思いが余って恋しさのあまり、あなたの居る方の空を眺めたら、霞がかった空より春雨が降っている
昔思ふ草の庵の夜の雨に涙な添へそ山ほととぎす
読み: むかしおもふ くさのいほりの よるのあめに なみだなそへそ やまほととぎす
作者と出典
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
新古今集 夏・201
現代語訳と意味
華やかだった昔のことを思っている草庵の夜の雨に、悲しげな声を聞かせてさらに涙を加えさせないでくれ、山ほととぎすよ
「幽玄」とは 藤原俊成が提言
藤原俊成が和歌の理想として挙げたのが、「幽玄」という概念です。
一言でいうと「余情美の感じられる作品」、そして、「幽玄にも聞こゆる」という、歌の調べの整った作品です。
詳しくは、「幽玄の解説記事」の方でご覧ください。
藤原俊成の歌風
藤原俊成の歌風の特徴としては、下のようなものに集約されます。
- 格調高く深みのある余情美が特徴
- 不遇感をベースにした濃厚な主情性
- 歌の言葉の機能を熟知した繊細な表現意識
- 本歌取り、本説取りの技法を開発
藤原俊成について
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)、歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入集。息子は藤原定家、寂連は甥、藤原俊成女は孫。新古今集の歌人を育て、中世和歌の発展に貢献した。