五月雨はたく藻の煙うちしめりしほたれまさる須磨の浦人
藤原俊成の代表作として知られる、有名な短歌の現代語訳と意味、品詞分解と背景の解説、鑑賞を記します。
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五月雨はたく藻の煙うちしめりしほたれまさる須磨の浦人 解説
現代語での読み:さつきうは たくものけむり うちしめり しほたれまさる すまのうらびと
作者
藤原俊成 ふじわらのとしなり
出典
千載和歌集 183 久安百首827 定家八代抄230
和歌の意味
五月雨は、海藻を焼く煙も湿らせて降り、嘆き悲しみ涙でぬれた袖をいっそうぬらす須磨の海辺で暮らす浦人であるよ
句切と修辞法
- 句切れなし
- 体言止め
語句と文法
- 五月雨・・・梅雨のころの長雨
- うちしめり・・・基本形「うちしめる」
意味は「水気を帯びてしっとりする 湿る」雨のため藻を炊く煙が湿っぽくなること。
「うち」は接頭語 - たく藻・・・海辺で焼いている海藻のこと。
水から製塩するために、海藻に海水をかけて焼いた。 - しほたれ・・・動詞基本形は「しほたる」で塩水が垂れるの意味。
ここではそこから「涙に濡れた袖を一層濡らす」の意味に用いている - まさる・・・多くなる
- 浦人・・・海辺に住む人のこと。
ここでは須磨に流された貴人のことを指す
品詞分解
- 五月雨は・・・係助詞
- たく藻・・・四・連体形
- の・・・格助詞
- うちしめり・・・ラ四 連用形
- しほたれ・・・四 連用形
- まさる・・・ 五 連体形
- の・・・格助詞
鑑賞
藤原俊成の古今集収録の和歌。
詞書に「崇徳院に百首奉りける時詠める」とあり、百首は「久安百首」を指す。
和歌の意味
流人の悲哀を詠んだ歌。
都から流された貴人は、その悲しみで涙に暮れ袖を濡らしているというのを、五月雨で視覚化して表現した。
和歌の背景
藤原俊成が編纂した『千載和歌集』は、源平の争乱のさなかに歌が集められ、流刑となった人の歌もその中に選ばれている。
『平家物語』にある平忠度が一旦都落ちした後、都に戻り俊成の屋敷に赴いて自作の歌百余首を収めた巻物を託し、その中の一首を俊成が詠み人知らずとして掲載したのは有名。
他に平経盛の歌も同様に収録されている。
詞書の崇徳院は保元の乱を起こして破れてさぬきに流刑となった。
本歌はそれらの高貴な流人の悲嘆をおもいやって作られた歌である。
久安百首とは
久安百首(きゅうあんひゃくしゅ)は、平安時代後期、崇徳院の命により14名の歌人が久安6年(1150年)までに詠進した百首歌。
それを「差し上げたときに詠んだ歌」というのが、この歌の詞書である。
藤原俊成について
藤原俊成(ふじわらのとしなり)
1114-1204 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう),歌人。〈しゅんぜい〉とも読む。「千載和歌集」の撰者。歌は勅撰集に四百余首入集。
小倉百人一首 83 「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」の作者。作歌の理想として〈幽玄〉の美を説いた他、『新古今和歌集』(1205)や中世和歌の表現形成に大きく寄与。
歌風は、不遇感をベースにした濃厚な主情性を本質とする。
藤原定家は子ども、寂連は甥、藤原俊成女は孫だが養子となった。他にも「新古今和歌集」の歌人を育てた。