かぢをたえ由良のみなとによる舟のたよりも知らぬ沖つ潮風 九条良経の新古今集の和歌の現代語訳と解説・鑑賞を記します。
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かぢをたえ由良のみなとによる舟のたよりも知らぬ沖つ潮風
読み: かじをたえ ゆらのみなとに よるふねの たよりもしらぬ おきつしおかぜ.
作者と出典
九条良経 (藤原良経)
新古今和歌集 巻11 恋歌1 1073
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現代語訳と意味
舵を失ってう由良の港に寄ろうとする舟のように 漕ぎ寄る手段もわからない。沖の潮風よ吹いておくれよ
句切れと修辞
本歌取りの歌
4句切れ
歌の語句
- 由良・・・丹後国の由良川河口他、由良海峡の説もある
- かぢ・・・「かぢ」は櫂や櫓など、船を漕ぎ進めるための道具。
または「かじを」を一つの言葉として、「梶の緒(櫓をつなぐ綱)」との解釈の2つがある。 - 沖つ・・・「沖の」に同じ。「つ」は「の」の意の格助詞。意味は「沖の白波」
解説
本歌取りの歌として有名な九条良経の歌。
それとはっきりはわからないが、恋愛の気持ちを詠う内容である。
本歌取り
本歌は新古今集の2首前の曾禰好忠(そねのよしただ)。
由良のとをわたる舟人かぢをたえ行く方も知らぬ恋の道かな
この歌は百人一首にも選ばれている。
※本歌の解説記事
由良のとをわたる舟人かぢをたえ行く方も知らぬ恋の道かな 百人一首46番 曾禰好忠
歌の意味
歌の意味は、本歌の
由良のとをわたる舟人かぢをたえ行く方も知らぬ恋の道かな
がはっきりと「恋の道」と表現しているものを、上を踏まえて「 たよりもしらぬ 」と置き換えられている。
「たより」は頼みになるものの意味の「頼り」で、「恋」と入れないところに奥ゆかしさと、思いが遂げられない寄る辺ない気持ちが表れている。
本歌取りの効果
この歌は、本歌を想起して初めて恋の歌だということが連想されるようになっている。
「かじを」を初句に「由良の」を2句の頭に置いたことで、元の歌が容易に想起できる仕掛けがある。
その上で、本歌と同じ「恋」を繰り返さずに、「たよりもしらぬ」と上品な表現にしたところにポイントがあるといえる。
本歌があって初めて成り立つ歌であり、和歌にたけていた当時の人は簡単にこれを本歌であり、恋歌であることがわかったのである。
他の本歌取りの歌
新古今の恋歌1に
白波の跡なき方にゆく舟も風ぞたよりのしるべなりける
それと藤原定家にも
風さわぐ由良の湊をこぐ舟のうきて物思ふ身ぞ行方なき
もあげられる。
作者九条良経について
九条良経は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。
和歌の才には早熟なものがあり、後に後鳥羽院に「秀歌のあまり多くて、両三首などは書きのせがたし」と評されている。
別名、藤原良経(ふじわらのよしつね)の他、後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)という作者名。
九条兼実の子、藤原忠通の孫、役職は摂政太政大臣。慈円は叔父。
和歌を藤原俊成に学び、六百番歌合を主催、藤原定家を後援した。
新古今和歌集の仮名序の執筆者でもある。
九条良経の代表作和歌
きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む(新古今集518百人一首91)
み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春はきにけり(新古今1巻頭歌)