「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり」寺山修司の有名な短歌代表作品の現代語口語訳と句切れ,表現技法、解釈などについて解説します。
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海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり
よみ:うみをしらぬ しょうじょのまえに むぎわらぼうの われはりょうてを ひろげていたり
現代語訳:
海を見たことがない少女にその広さを説明しようと、麦藁帽をかぶる夏のさ中に私は両手をいっぱいに広げてみせていた
表現技法と句切れ、語の解説:
- 句切れなし
- 「知らぬ」は終止形ではなく否定の助動詞「ぬ」
- 広げていたり…「広げる+いる」の複合動詞。「+たり」完了・存続の助動詞
解釈と解説
この歌は、寺山修司が「短歌研究」の二回五十首詠に応募した際の初期の作品です。
その全作品はこちら
寺山修司「チェホフ祭」50首詠「短歌研究」第2回新人賞受賞作品
まだ間近で海を見たことがない少女に、海を知っている作者はその広さ、大きさを言葉で伝えながらも、両手をいっぱいに広げて海の様子を伝えようとします。
「海を知らない」少女も、その子に伝えようとする少年も初々しく、その二人の心の通い合いも何とも甘酸っぱい感じを与えます。
登場人物が幼い感じを伝える歌ですが、寺山修司は12、3歳から歌を書き始めたと自身で語っています。この「初期歌篇」は、15、6歳の高校生の時の作品です。
中井英夫の評
この時期の寺山修司の作品について、寺山を見出した中井英夫は
「無心な美しさという点では(後年の歌を含めた)集中の随一」「決して時間に腐食されることのない果物のみずみずしさがある」「10代の少年の内部自体をこれほど明るく懐かしく映し出したという例はかつてなかった」
と褒めています。
寺山修司の他の短歌
草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ
きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする
向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
朝の渚より拾いきし流木を削りておりぬ愛に渇けば
夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず
大いなる欅にわれは質問す空のもつとも青からむ場所
わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
わが切りし二十の爪がしんしんとピースの罐に冷えてゆくらし
代表的な作品をまとめたのは下の記事
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まとめ
後に寺山は短歌を止めてしまい、さらに若くして亡くなったのが惜しまれますが、いつまでも愛唱を誘う寺山の歌はこれからも広く読み継がれていくことと思います。
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司の歌集、この一冊に寺山の主要な短歌、ほぼ全部が収録されています。