「たらちね」はどのような意味か知っていますか。
「たらちね」は垂乳根とも書く枕言葉なのですが、なぜ母を詠む短歌に「たらちね」なのでしょうか。
垂乳根の意味と語源、現代短歌や万葉集他にある「たらちね」を用いた短歌をご紹介します。
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「たらちね」垂乳根、足乳根の意味
「たらちね」の意味について、たらちねを漢字で「垂乳根」とも書くところから、「乳の垂れた齢をとった女性または母」との解説をネットで時たま見かけます。
これは正しいのでしょうか。短歌の解説書を見てみましょう。
「垂乳根=乳の垂れた女性」は誤り
垂乳根のこの解説については、飯塚書店の「短歌文法入門」によると、次のように説明されています。
足乳根、垂乳根の漢字を用いて乳房の垂れた女の意から、母にかけるというのは、後からつけられた解釈とも言われます。古今集では親にもかけて用いられています。
現在では「たらちねの」を母・親にかける枕詞としています。―出典:飯塚書店「短歌文法入門」
実は「たらちね」の語源はどの解説を探してもはっきりはしていません。
ですので「乳の垂れた女性、乳の垂れた歳をとった女性」というのは誤りと考えた方がよさそうです。
枕詞とは何か?
「たらちねの」の他の枕詞についても、意味がよくわからない、意味がないとされているものがほとんどです。
枕詞は一定の語句の上につけて修飾したり、口調を整えたりするのに用います。
口誦(こうしょう)時代には、一定の語句を引き出す役目をしたものだと言われます。
口誦というのは古く短歌を文字ではなく謡のように読んで伝えていたという意味です。
宮中の歌会始などを見ると、短歌が一語一語ずつ、現代からみるととてもゆっくりと歌を読み上げられています。
そういうときに「たらちねのー」というと、読み上げの間も、次に移る間にも、「次には『母』が来るのだな」と母のイメージを持ちながら聞き続けることができます。
「枕詞」とは、そもそもそういう決まった語句を引き出す役割をしたものと⒮れています。
ですので、枕詞というのは、意味が何かではなくて、次に来る言葉が何かということ、何という言葉と一緒に用いられるかということの方が大切なのです。
※枕詞全般については以下に解説
枕詞とは 主要20の意味と和歌の用例
「たらちね」の枕詞を用いた短歌
ここからは「たらちね」を用いた短歌を挙げてみます。
「たらちね」でよく引き合いに出される、いちばん知られている有名な短歌は、長塚節と斎藤茂吉の作品です。
たらちねの母がつりたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
作者:
長塚節
出典:
「鍼の如く 其の2」
意味:
母が吊ってくれた青い蚊帳をすがすがしいと寝てみた。たるんでいたけれども。
「いねつ」の「い」は接頭語。寝ぬ+過去の助動詞「つ」
長塚節は生涯結婚せずに、お母さんと一緒に住んでいました。
結核であることがわかり、入院中の病院から退院して帰宅。母の用意してくれた蚊帳に眠る気持ちが詠われています。
この歌について詳しく
垂乳根の母がつりたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども/長塚節
たらちねは笊(ざる)もていゆく草苺(くさいちご)赤きをつむがおもしろきとて
こちらも長塚節の短歌。
「母は笊(ざる)を持って出かけていく。草イチゴの赤いのを摘むのが面白いのだといって」という意味です。
こちらでは「母は」というところをそのまま「たらちねは」と、たらちねが母の代わりの言葉として使われています。
小夜(さよ)泣きに泣く児はごくむ垂乳根の母が島辺は悲しきろかも
作者:
長塚節 明治36年
意味:
夜泣きをする子を育てる母のいる島のあたりは悲しいものだ
小笠原の母島における友人の追悼式に出席して詠んだ歌。
島の名が「母島」であるところから、上句は実際の情景ではなく、母島の「母」を導く序詞と思ってよいでしょう。
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にいて足乳根の母は死にたまふなり
作者:斎藤茂吉
出典:『赤光』死にたまふ母 其の2
意味:のどの赤い燕が二匹、梁にとまっているこのとき、母は亡くなられてしまった
斎藤茂吉の代表作「死にたまふ母」の有名な一首です。
「たらちね」には、「足乳根」との漢字表記となっています。
この一首前には、「我(わ)が母よ死にたまひゆく我(わ)が母よ我を生まし乳足(ちた)らひし母よ」というのがあり、「足乳根」を逆にした茂吉の造語「乳足(ちた)らひし」が使われています。
また、同じ一連で、斎藤茂吉の母のもう一つの枕詞、「ははそはの母」の「ははそはの」も用いた歌もあります。
斎藤茂吉の他のたらちねの短歌は
海岸にひとりの童子泣きにけりたらちねの母いづくを来らむ
たらちねの母のゆくへを言問ふはをさなき児等の常と誰かいふ
たらちねの母がなりたる母星の子を思ふ光吾を照せり
作者:正岡子規
意味:
母が星となった母星の子供を思う光が私を照らしている
正岡子規「真砂なす」の連作中の歌です。
「真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり」と同じ一連の中の、次に位置する歌で、私に向かって照る星が、母の星であると想像を広げています。
弟のねざまなほしてたらちねは細きランプを消さむとすなり
作者:土屋文明 『ふゆくさ』
意味:
弟の寝相を直したあとで、母は細きランプを消そうとするのだ
「たらちねは」は「母は」の意味で、「母」をそのまま「たらちね」と置き換えて用いています。
「たらちね」の現代短歌
他にも、現代短歌にも使われている「たらちね」を例に見てみましょう
胸内のしぶくが如き悔しさに百合突き立てるたらちねの墳(つか)
作者:
笹野儀一
出典:
『供華(くうげ)』
意味:胸の内のしぶくような悔しさに百合を突き立てる母の墓に
戦争から死線をさまよって復員してきた作者は郷里に着いて歌ったもの。
母に合おうという一心で生きて帰ってきたものを、母が亡くなっていたことにさぞかし無念であったでしょう。
この歌では「たらちね」はそのまま「たらちねの」=「母の」というように用いています。
万葉集の「たらちね」「垂乳根」の用いられた短歌
ここからは、万葉集の「たらちね」の使われた短歌、和歌をあげます。
たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか
万葉集:
3102 作者不詳
意味:母が呼ぶ私の名をお教えしたいけれども、通りすがりの人が誰かは分からないので教えられません
男女の交流の場でもある海石榴市(つばいち)で詠まれた、この直前の歌(3101番歌)への返歌。
男女のやり取りが歌にしてあらわされました。
たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに
万葉集:220 作者不詳
意味:生みの母を離れて以来こんなにどうしようもない思いは、いまだかつてしたことがなかったのに
年頃になって、両親の元を離れた作者が初めての恋の苦しさを詠んだ歌。
この歌は、万葉集の作品でもひじょうによく取り上げられます。
たらちねの母が手放れかくばかりすべなき事はいまだ為なくに 柿本人麻呂歌集
玉垂の小簾(をす) の隙(すけき) に入り通ひ来(こ) ね たらちねの母が問はさば風と申さむ
万葉集:2364 作者不詳
意味:御簾の隙間から私の居るところに入ってきてくださいね。母に聞かれたら、風だと申しますので
この歌は577577の字数で『旋頭歌』と言われるものです。
昔は恋人は、女性の元へ通ったので、その逢引きのものでしょう。
かくのみし恋ひば死ぬべみたらちねの母にも告げつ止まず通はせ
万葉集:2364 作者不詳
意味:こんなにも恋心を募らせていれば、きっと死んでしまうでしょうから、母にも告げました。だから途絶えることなく私のもとに通って来てください
この場合はもう恋人というより、ほぼ結婚が決まったと思えます。
もっとも、当時は結婚しても通い婚といわれるものでしたから、お母さんが婿に会う機会は、案外数多くあったのかもしれません。
新古今和歌集の「たらちね」
新古今和歌集から和泉式部の歌と、他にっ後鳥羽院の歌を挙げておきます。
たらちねのいさめし物をつれづれとながむるをだに問ふ人もなし
作者:
和泉式部 新古今和歌集 第十八 雑歌下 1812
一首の意味:
うたた寝を見ると、それ物思いをしているといって親のやかましく止められたものであったが、今はこうあらわにつくねんと物思いをしているのさえ、どうしたのかと問うてくれる人もない
後鳥羽院の和歌もあげておきます。
たらちねの消えやらで待つ露の身を風より先にいかでとはまし
作者:後鳥羽院
意味:
「たらちねの母」の「母」を取り去り、「たらちね」だけを母の代名詞として用いた例。
隠岐の島に流されて、肉親と会えなくなった後鳥羽院が、母を慕って詠んだ歌です。
「消えやらで待つ露の身を」というのは、「死なないで待っている露のようにはかない母上を」の意味です。
その母を「風よりも早くなんとしても、尋ねて行って会いたい」という訴えは切々と響きます。
まとめ
「たらちね」の短歌はいかがでしたか。
枕詞もふくめて、ぜひご自分の言葉で、お母さんを詠む短歌を作ってみてくださいね。