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夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず/寺山修司解説と鑑賞

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「夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず」

寺山修司の有名な短歌代表作品の訳と句切れ、文法や表現技法などについて解説、鑑賞します。

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高校教科書の現代短歌掲載作品一覧 栗木京子,俵万智,寺山修司,大西民子

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夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず

読み:なつちょうの しをひきてゆく ありいっぴき どこまでゆけど わがかげをいず

作者と出典

寺山修司 「空には本」

現代語訳

夏の蝶の屍を引っ張っていく一匹の蟻は、どこまで行っても私の影の域を越えて出ることはない

語と文法

・夏蝶…夏蝶というのは、俳句の季語で使われる言葉
寺山は俳句にも精通していた

・屍…ここでは字数に合わせて「し」と読ませると思われる
蝶の死骸のこと

・行けど…「ど」は逆接の確定条件 「~けれども」

・出ず…基本形は「出づ」読み方は同じだが「出ず」の「ず」は打消し、否定の意味になる。

句切れについて

「句切れなし」というがおられますが、「3句切れ」の可能性を挙げておきます

「句切れなし」の方には「夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹は」として、主格の「は」または「の」が省略されているという見方です。

意味の上ではその通りですが、作者の意図として6文字の字余りの「蟻一匹」で、切るように考えていたとも思われます

「一匹」のある他の歌

例として、寺山修司の他の蠅一匹の出てくる歌をあげると

蠅叩き舐めいる冬の蠅一匹なぐさめられて酔いて帰れば

この歌においては、「蠅一匹」は意味の上からも、下句とは「は」や「の」ではつながりません。

他に

わが影を出てゆくパンの蠅一匹すぐに冬木の影にかこまる

この歌は掲出歌「夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず」と同様の構成です。

以上を参考にご判断ください。

 

一首の解説

「夏蝶」は基本的には俳句の言葉、季語となる言葉ですが、夏の蝶、つまりアゲハチョウでしょう。

夏の暑い盛り、または晩夏に、一生を終えたアゲハチョウが死骸となって土の上にあるのを、蟻が引っ張っていく。

一首はその情景を捉えたものです。

日に焼けて暑い土の上、小さな生き物たちの生死、とりわけ厳しい生の営みが作者の眼に入ります。

蟻は自分よりも体の大きな蝶の死骸を、少しずつでも懸命に巣に運ぼうとしており、作者はそれを蟻よりもはるかに大きな自分の影と対比して、蟻が運ぶことの大変さを視覚的に示しています。

それが「どこまで行けどわが影を出ず」との強調です。

蟻にとっては大きな距離であっても、作者の眼からは徒労に終わるような蟻の歩行は、生の無為を表しています。

暑いけだるい夏にあってある作者の倦み疲れたような心境が、目の前の生物に投影されて表現されているのです。

一への志向

寺山修司の短歌には「一」という数が多いと、穂村弘さんが指摘されています。

一粒の向日葵の種蒔きしのみに荒野をわれの処女地と呼ばむ

露地さむき一ふりの斧またぎとびわれにふたたび今日がはじまる

ゆくかぎり枯野とくもる空ばかり一匹の蠅もし失わば

「一」を含むこれらの短歌は、いかにも寺山らしいモチーフに彩られた作品です。

影の登場

「屍」や「影」をモチーフに扱ったこの歌は、青春期の希望よりも挫折を思わせる点で、寺山の突き抜けたような明るさを持つ他の作品群とは違った印象を与えます。

寺山修司の短歌においては、虚構性についてが常に言及されています。

だからといってこの歌が寺山の実像であるとも言えませんが、まばゆいばかりの明るい青春像の対極にある歌、これもまた寺山の”作品”の一つなのでしょう。





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