一本の樫の木やさしその中に血は立ったまま眠れるものを 寺山修司  

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一本の樫の木やさしその中に血は立ったまま眠れるものを 寺山修司

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一本の樫の木やさしその中に血は立ったまま眠れるものを

寺山修司の有名な短歌代表作品の訳と句切れ、文法や表現技法について解説、鑑賞します。

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読み:いっぽんの かしのきやさし そのなかに ちはたったまま ねむれるものを

作者と出典

寺山修司  「血と麦」

現代語訳

一本の樫の樹の中にも流れている血がある。そこでは、血は立ったまま眠っている

寺山修司の短歌一覧は→ 寺山修司の有名な短歌と教科書掲載作品一覧

語と文法の解説

・やさし・・・「やさしい」の文語。基本形

・ものを・・・接続助詞と終助詞の二種類があるが、ここは、終助詞の方。

「ものを」は辞書では

もの-を
終助詞
《接続》活用語の連体形に付く。〔感動〕…のになあ。…のだがなあ。

表現技法

句切れ他の表現技法は以下の通り

句切れ

3句切れ 「やさし」の基本形のところ

倒置

3句以下は倒置とその部分

擬人法

木が「やさし」「立ったまま眠れるものを」の擬人法

 

「一本の樫の木」一首の解説

寺山修司らしいロマンあふれる一首。

「立ったまま眠る」にまつわる体験

この歌の発案は、19歳の時の断片にある。

パリはたったまま眠る。
たったまま眠れたらどんなにいいだろう。
この頃、横になっても中々眠れないのだ。  寺山修司

当時、寺山修司はネフローゼで入院中であって、自らの不眠を上のように書き記した。

そのイメージがこの短歌に置き換えられたものと推測できる。

「パリは立ったまま眠る」はエリュアールの詩

上の冒頭、「パリはたったまま眠る」はフランスの抵抗詩人ポール・エリュアールの詩「勇気を」の中の

パリは空気もない地下鉄で立ったまま眠っている」--ポール・エリュアール

から取られているとされる。

 

寺山修司自身の現代語訳と意味

この歌については、寺山修司自身の解説がある。

「血は立ったまま眠っている」に

劇作家でもあった寺山修司は、1960年に「血は立ったまま眠っている」とのタイトルの長篇戯曲を書いている。その戯曲についての内容に触れている文章がある。

「一本の樹の中にも流れている血がある。そこでは、血は立ったまま眠っている」
というみじかい私自身の詩から発想されたこの戯曲は、60年安保闘争との関係を省いて語ることは難しい。

戯曲の内容は、「安保闘争の時代背景の中、兄弟の如く寄り添う若きテロリスト二人を筆頭に、若者たちの心の葛藤や怒りを生き生きと描いている」というものであるらしい。

寺山修司の言う歌の内容

歌の意味については寺山が自身で明かした上記の通りであろう。

ちなみに、寺山は病気が重いため、安保闘争には参加していない。

wikipediaには、1960年の初夏、岸上は寺山を訪問し「寺山さんは(安保闘争の)デモには行かないんですか?」と尋ねた後、寺山を批判したという記載がある。

 

一首の推測できる意味

歌の直接の意味は、上記に寺山によって示された以上の内容はないだろう。

その上で、さらに歌を理解する手掛かりになるヒントを下に示してみる。

「一本の」寺山の好む「一」

「一本の」の「一」は寺山の短歌の中にはひじょうに多く見られる数字であることが以前にも指摘されている。

なお「一本」は、「いっぽん」の他にも「ひともと」という読みが可能であるが、ここでの読みは「いっぽん」であろう。

「やさし」の断定が前にある

「やさし」というのは、そのとおり「優しい」との意味であるが、主語が樫の木に擬人化されている。

樫の木に文字通り「血が通っている」とみて、その上での「眠り」のイメージを「やさしい」としている。

「やさし」ととらえる理由

もちろんこのままでは、なぜ「やさし」なのかわからないので、3句の「その中に」以下に「やさし」の理由に当たる部分がある。

それが「血は立ったまま眠れるものを」で、この結句の「ものを」は「のになあ。…のだがなあ」の感嘆であることは上に示した。

樫の木が優しいとする理由は、木がその中に立ったまま眠る血をふくよかにたたえているから。

終始屹立する樫の木、樹木にとっては当たり前のことだが、その当たり前のところを、あらためて寺山の間隔でとらえなおしたものが、「立ったまま眠れる」の擬人化された叙述である。

安眠のイメージ

木を題材に感覚的な作者のイメージを伝える一首であるが、先に述べたように、エリュアールの言葉が下地にあり、眠れない寺山が、安眠について思いめぐらした体験が歌の成立の一番大きな要因である。

さらに言うと、「立ったまま眠る」に一般的に人が思い出すのは、通常は木ではなくて、馬などの四足歩行の動物だろう。

エリュアールの言葉から動物の安眠を思い描き、主語を実際には眠らない樹木に置き換えてイメージ性を強める。

その上で、自身の今まさに体験していることを重ね合わせて、生々しい表現を避けて、フィクショナルにまとめたのが一首の内容であるといえる。

寺山にとっての短歌は、自身の体験を生に伝えることよりも、言葉の美しさ、詩文の魅力の方が第一であったろう。それは寺山修司の他の歌においても同様に言えることである。

寺山修司プロフィール

寺山 修司(てらやま しゅうじ)1935年生

青森県弘前市生れ。 県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。 早大教育学部に入学(後に中退)した1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。 以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真などマルチに活動。膨大な量の文芸作品を発表した。

 




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