萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ
源実朝の『金塊集』の有名な代表作の和歌より、実朝の代表作と言われる短歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ
読み:はぎのはな くれぐれまでも ありつるが つきいでてみるに なきがはかなさ
作者と出典
源実朝 (みなもとのさねとも) 別名「鎌倉右大臣実朝」
金塊集(きんかいしゅう)210
現代語訳と意味
萩の花は夕ぐれには見えていたが、月が出てその月の光に見てみようとしたらもう散ってしまってなくなっている はかないことよ
句切れと表現技法
句切れなし
4句字余り
語句の解説
歌の各語の意味と文法です
萩の花
マメ科ハギ属の落葉低木または多年草の総称。秋の七草の一つで一つの枝に小さな赤紫の花がつく
くれぐれ
くれぐれは漢字では「暮暮」。日暮れのこと
ありつるが
動詞「あり」の連用形+完了の助動詞「つ」の連体形
前に一度述べたことをさしていう。 「先ほどの」「 さっきの」の意味
「なきがはかなさ」の品詞分解
「なき」形容詞 "ク活用"形容詞「無し」の連体形
「が」類似・比喩を表す格助詞。ここでは「ないかのような」
解説
源実朝の歌集『金塊集』の作品。
清新な感覚・陰翳に富む実朝の青年の心の姿を伝える秀歌とされる。
和歌の詞書
詞書には
庭の萩わづかにのこれるを、月さしいでてのち見るに、散りにたるにや、花の見えざりしかば
とある。
現代語訳だと
庭に咲いていた萩の花が残っていたのを、月が出たのでその光で見てみようとすると散ってしまったのだろうか 花がみえなかったので
としてこの歌が続いて置かれている。
歌の意味
一首の意味は、暮れまでは咲いていた萩の花が、夜には散ってしまったというもの。
萩の花をめぐる時の経過を含むことが「くれぐれ」「月」の推移でわかる。
萩の花の像
萩の花がなくなっていたという花の不在そのものに歌の主題が置かれている。
しかしながら、読者はこれを読んで月が見えるその下に月光の中に浮かぶ萩の花が思い浮かべられるだろう。
下句の長さ
その残像のように浮かぶ情景の美しさは「萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るに」の5758までの25音を詠む間に続く。
この萩の花は「なきが」と続くので、「ない」ことがわかるのだが、イメージを保持する間の4句までの長さに注意されたい。
字余りの意図するもの
特に4句は「つきいでてみるに」とさらに8字の字余りとなっていて、花がないとわかるまでの長さを作者が意識していることも推察される。
花があると思っている長さが長ければ長いほど、花がない時のはかなさが強調されるためである。
作者の行為
また、「月出て見るに」の主語は作者で作者の萩の花に向かう行為として能動的な動きのあるものとなっており、たとえば「月光の下」と単に場所を表すのとは違う。
それだけに花の見られなかった作者の内心の落胆と底に感じる思いが表されるものとなっている。
花の像の反転
結句は、「なきが」と続くことで、文字と共に長く続いた花のイメージが打ち消される。
作者と共に共有していた花の像と不在がここで反転を見る。
あったはずの花は最後の結句のたった7文字で「なきがはかなさ」としめくくられる。
4句までの25文字に対して花がないとするのはたった7文字である。
そのあとの空白、歌が終わって文字が見えなくなってからの空白、それがすなわち「なくなってしまった萩の花」の空間と同じものである。
歌の工夫
この歌は作者の感性を表すものとして感じられることが多いが、その表現には上のような工夫が尽くされていると言える。
実朝が天性の歌人といわれる理由もそこにあるだろう。
源実朝の歌人解説
源実朝 みなもとのさねとも
源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。源頼朝の子。
将軍でありながら、「天性の歌人」と評されている。藤原定家に師事。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献された。
万葉調の歌人としても名だかく、後世、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉らによって高く評価されている。歌集は『金槐和歌集』。
百人一首には「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも」が選ばれている。
源実朝の他の代表作和歌
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 百人一首93
いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる 608
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも 693
炎のみ虚空に見てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし 615
くれないの千入(ちしほ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 633