いのちを詠んだ短歌は、斎藤茂吉をはじめとするアララギ派の歌人の近代短歌に数多くあります。
きょう12月1日は、いのちの日の記念日です。
きょうの日めくり短歌は、「いのち」にちなむ短歌をご紹介します。
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いのちの短歌
短歌、特に近代短歌を詠んでいると、いのちを直截に詠ったものが多くあることに気が付きます。
昭和初期頃までは、まだまだ短命であり、同年代の死が身近であったことも背景にあるのでしょう。
例としてアララギ派の歌人の亡くなった年を見てみましょう。
アララギ歌人の享年
アララギ派の近代歌人、正岡子規が結核で34歳没、長塚節35歳、最も長い伊藤左千夫が48歳といずれも短命です。
その後に続く古泉千樫40歳、中村憲吉45歳らはやはり結核に罹患、年長の島木赤彦も49歳です。
中では斎藤茂吉が70歳と比較的長いですが、医師であったことは勿論ですが、師や盟友の死に次々と遭ったことから、自分の生命についても考えることは多かったと思われます。
斎藤茂吉のいのちの短歌
自選歌集「朝の蛍」の題名にもなった
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ
は、直截に「いのち」という言葉を用いて、自らの命を思いやる歌です。
他に、斎藤茂吉には「生」にルビを振って「いのち」と読ませる下のような歌も多く見られます。
みづからの生(いのち)愛しまむ日を経つつ川上がはに月照りにけり
この「生(いのち)」は病後の自分の体をいたわるための療養中の歌です。
「いのち」と「生(いのち)」の語とでは、その意味とニュアンスにも微妙な違いが生まれています。
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ 斎藤茂吉『あらたま』
みづからの生愛しまむ日を経つつ川上がはに月照りにけり斎藤茂吉『つゆじも』短歌代表作品
「死にたまふ母」は命の名歌
斎藤茂吉の命の歌と言えば、やはり「死にたまふ母」の連作です。
みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる
ここではその核となる「母のいのち」と直截に歌っています。
一目見ようとするのが「母」であって、単に「みちのくの母に」であったとしたら、大きく印象は違ったことでしょう。
みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる「死にたまふ母」斎藤茂吉
「一本の道」にたとえる生命
もう一つ、斎藤茂吉の命の代表作のような歌がこちら
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
この歌に関しては、上の歌のような細細としたものではなく、エネルギッシュな、まさに「生きるいのち」そのものを、一本の道にたぐえて詠んだものです。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり 『あらたま』斎藤茂吉
「短歌は生のあらわれ」斎藤茂吉
斎藤茂吉は、自ら記す歌論において
「短歌は生(せい)のあらわれであり、自己そのものでなければならない」
と位置付けています。
「生のあらわれ」の「生」の読みは「せい」ですが、それはまた己のいのちに直結するものでもあったのです。
他に『赤光』から「いのち」の短歌をあげると
やはらかに濡れゆく森のゆきずりに生(いき)の命(いのち)の吾をこそ思へ『赤光』
ひとり居(ゐ)て朝の飯(いひ)食む我が命(いのち)は短かからむと思(も)ひて飯(いひ)はむ
代々木野(よよぎの)をひた走りたりさびしさに生(いき)の命(いのち)のこのさびしさに
生物以外のものに対しても、逆説的ないのちを詠った
遠天(をんてん)を流らふ雲にたまきはる命(いのち)は無しと云へばかなしき『赤光』
たえまなく激ちのこゆる石ありて生なきものをわれはかなしむ 「石泉」
も良い歌です。
たえまなく激ちのこゆる石ありて生なきものをわれはかなしむ 解説と鑑賞
他の歌人の命の短歌
他の歌人の命の短歌についても見てみましょう。
石川啄木の「いのちなき砂」の短歌
いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指の間より落つ 石川啄木
わかりやすい歌ですが、この時の啄木はまだ健康であり、その後は、結核に罹患、本当に命の危機に直面するのです。
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いのちなき砂のかなしさよさらさらと握れば指の間より落つ 石川啄木
吉野秀雄 妻のいのちを詠う
真命の極みに堪へてししむらを敢えてゆだねしわぎも子あわれ 吉野秀雄
こちらは亡くなる前の妻のいのちを詠った一連の一首でよく知られています。
「末期のいのち」の妻と最後の交情をするという内容ですが、美化されることなく詠っています。
真命の極みに堪へてししむらを敢えてゆだねしわぎも子あわれ 吉野秀雄代表作短歌
古泉千樫 若く結核を病んだ歌人
ひたごころ静かになりていねて居りおろそかにせし命なりけり
結核で30歳で亡くなった古泉千樫の、柔らかくも痛切な歌。
若いがゆえに命を無駄にしてしまったという作者自身の悔いが悲しみを誘います。
命は過ぎてしまえば、50年と言えども、本当に”束の間のもの”でしかないのです。
古泉千樫の短歌代表作品50首 アララギ派の歌人の抒情と平淡 歌の特徴
中村憲吉「磯の光」
おほけなく涙おちたり生ありてあり磯の珠も母と拾へば
中村憲吉の妻をめとった際の一連「磯の光」は結婚の感激を母と共に噛みしめる歌が含まれます。
「生ありて」は「命があって」の意味ですが、もちろん憲吉が健康で若い時ですので妻を娶っての感傷なのですが、「自分を生んでくれた母」との思いがあるのでしょう。
繊細な憲吉らしく、喜びの涙に彩られた一連は、結婚を迎えた人に一度は読んでほしい作品です。
男性が結婚を手放しで喜んで感激している歌というのは、他にはあまり見られません。素直に感激を現した稀な作品と言えます。
きょうの日めくり短歌は、「いのちの日」にちなんで、いのちを詠んだ短歌をご紹介しました。
それではまた!
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