冬の短歌、冬の事物を題材にした短歌にはどのようなものがあるでしょうか。
この記事では冬の事物が詠み込まれた歌、様々な歌人の詠んだ冬の歌を、近代短歌と現代短歌からまとめてみました。
冬の短歌まとめ
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町はもうすっかりクリスマス気分。夜にはイルミネーションも見かけるようになりました。
一方、冬の寒さとその厳しさは、多くの詩人や歌人の詩心をそそるもののようです。
各歌人の冬に詠まれた短歌をどうぞ読み比べてみてください。
有名な作品を順にご紹介します。
・・・
東京へ帰るとわれは冬木原つらぬく路の深き霜踏む
作者:窪田空穂
冬の霜を詠む短歌。
戦時中疎開で東京を離れていた作者は、冬になって東京に戻ろうとしたようです。
他にも
死ぬべくは東京にてと恋ひにけるわが東京に帰り来たりぬ
寒風の高行く空の澄みひかりわが東京に家のあらずも
など、家が被災したこともうかがえます。
霜しろき庭に入り来て 土深く くづるゝものゝ音を聞きたり
作者:釈迢空
崩れるものは霜なのでしょうか。
あるいは、それより深いところにある何かなのかもしれません。
しづけさは斯くのごときか冬の夜のわれをめぐれる空気の音す
作者斎藤茂吉の、冬の冷たい空気を詠んだ歌。
冬の夜の寒気が張り詰めたような静けさ。それを「空気の音」と表現しています。
うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日
作者:斎藤茂吉 歌集「小園」より
「冬至の日に」と題する一連です。
「冬のはての日」というのが冬至のことで、雪深い冬のふるさとの景色の美しさと、そこにある幸福感をうたっています。
この歌の詳しい解説は下の記事に
うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日 斎藤茂吉
うつしみの人皆さむき冬の夜の霧うごかして吾があゆみ居る
作者:佐藤佐太郎
生きて居る人は皆寒いだろうと言って、生きている人と同列ではない意識、そして「霧うごかして」も、人というよりももっとかすかな動きを差す表現です。
皆に交わらず、夜の霧の中を行く作者はもちろん孤独であるのです
百の燭をかかげよ雪の香をまとひ夜空かへり来んひとりのために
作者:木俣修
冬の雪を詠む短歌。
だれかの命日なのか、冬の空を帰ってくるだろうその人のために、ろうそくの火を百灯そうという、幻想的な歌です。
音絶えし或る世のごとく雪は降りおりふしの空に日のかたちあり
作者:高安國世
音がなくなってしまった、どこかの世界のように雪が降り続いていて、日は勿論照らないのだが、時折、太陽が雲の向うに輪郭を伝えている――
そのような雪の日の描写です。
雪やみし山の夜空に含羞の星よみがべる静けさにゐつ
作者:前登志夫
雪が止んで晴れた夜空に星が光りはじめるとともに、ふと思い出される記憶の中の「含羞」。あまりに静かだと人は内面にあるものを探り当てることがあるのでしょうか。
泣くおまえ抱けば髪に降る雪のこんこんとわが腕(かいな)に眠れ
作者:佐佐木幸綱
泣いている恋人に寄り添っていると、雪が降ってくる。「こんこん」の擬音が美しいです。
他にも
も美しい作品です。
雪の短歌は他に
体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき
--穂村弘
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
作者:北原白秋『桐の花』
母の住む国から降ってくる雪のような淋しさ 東京にいる
--俵万智『サラダ記念日』
雪であることをわすれているようなゆきだるまからもらうてぶくろ
さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに
--笹井宏之『歌集 てんとろり』
生と死を量る二つの手のひらに同じ白さで雪は降りくる
--中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』
ああ雪がふっていますね 来る明日は品切れですと神さまがいう
--作者と出典:杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』
降りながらみづから亡ぶ雪のなか祖父(おほちち)の瞠(み)し神をわが見ず
--寺山修司『田園に死す』
泣くおまえ抱けば髪に降る雪のこんこんと我が腕に眠れ
--佐佐木幸綱『夏の鏡』
放恣なる百日紅の細枝にもとどまりてとどまりて雪積む
--今野寿美
上の歌を雪の短歌のページで解説付きで読む
雪の短歌 一覧まとめ
ゐろりべにまろねをすればおのづから冬の明るき夜空ほのみゆ
作者:前田夕暮。
冬の星と夜空を詠む短歌
火の回りに丸くなって寝ていると、仰向いて窓の高くに冬の月星の明るい空が見えるというのです。
他に
雪の上に焚火をすればものみなはかげを喪ううすあかりして
も味わいたい作品です。
冬の日が遠く落ちゆく橋の上ひとり方代は瞳(め)をしばだたく
作者:山崎方代(ほうだい)
橋の上から見る冬の遠い沈む日。
方代は目が悪かったのですが、太陽の光は見えたのでしょう。
夜をこめてわれは識るなりはろばろし光厳しき冬のシリウス
作者:坪野哲久
まだ夜が明けないうちに、遙かに遠いシリウスの光の厳しさを知ったということなのでしょう。
他に「手をかざし心をかざすふるさとのしちりん赤く立つ焔あり」も冬の歌です。
穏やかなる年の夕日の沈むとき銭湯のゆず湯より吾がかへるなり
作者:土屋文明
ゆず湯というのは、普通は冬至に入るもの。
体に残るゆず湯の香に一年を振り返りながら、夕べに風呂から帰るときの情景です。
冬のクリスマスを詠む短歌
ここからは冬のイベントであるクリスマスの短歌をご紹介します。
クリスマス・ツリーを飾る灯の窓を旅びとのごとく見てとほるなり
作者:大野誠夫(のぶお)
戦後まもなくの町のショーウインドウに飾られたクリスマスツリー。そのきらびやかなさまは、まだ作者の心にそぐわないものであったのでしょう。
クリスマスの短歌は他に
降誕祭ちかしとおもふ青の夜曇りしめらひ雪ふりいづる
樅(もみ)の木の灯の明滅をめぐりつつ人は踊れり窓の内側
--大野誠
ひび黒き茶碗と箸を取り出してひとり降誕祭(ノエル)の夜を送れり
--山崎方代
紅にひひらぎそよご色づきて冬の祭りせむ幼は遠し
--土屋文明
待つ人はつねに来る人より多くこの町にまた聖夜ちかづく
--小島ゆかり
裸木の公孫樹は電飾に飾られて眠れずあらん降誕祭前後
--尾永さえ子
口笛でクリスマス・キャロルを奏ずれば更に寂しき聖夜のプリズン
--郷隼人
下総のかの町辻の教会の思はるるかな聖夜を唱へば
--田谷鋭
声変りしつつある故唱へぬをあはれがるころキャロルは終る
--岡井隆
柊の飾りすがしき聖夜の町さらぼふ犬とわれと歩める
--岡野弘彦『滄浪歌』
トナカイがオーバーヒート起こすまで空を滑ろう盗んだ橇で
--穂村弘
灰色の手袋を買ふ この国のいたくぶあつき降誕祭に
--笹井宏之
上の短歌を解説付きで読むには下の記事へ
クリスマスの短歌 大野誠夫,土屋文明,穂村弘,笹井宏之,小島ゆかり,岡井隆他
売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真っ赤な櫛を
作者:寺山修司
冬の情景がベースになっています。
作者と母親の関係は複雑なものであり、歌の中では生きているはずの母が死んでいると詠まれているものもあります。
「真っ赤な櫛」を埋めるとはそのような感情のメタファーなのでしょう。
ふるさとは霜月の夜のしづけさのみなもと暗く石の臼冷ゆ
作者:高野公彦
霜月は1月。もっとも寒い季節の夜の、故郷の静かなことの源は、どこにあるかというと、冷たくなった石の臼であることを探し当てた作者。台所の暗がりは、田舎の家の中では最も寒い場所に当たります。
冬空にうまれたちまち褪せてゆく虹さびしくて手袋脱がず
作者:栗木京子
冬空の虹はすぐ消えて行ってしまう。それを寂しく感じた作者は、脱ぐべき手袋を手放せない。
脱いだら、消えていった虹のように、手のぬくもりも失せてしまうだろうから。
感覚的な要素を含み、印象的な作品です。
関連記事:
栗木京子短歌代表作品 第一歌集『水惑星』他
ゆびというさびしきものをしまいおく革手袋のなかの薄明
読み:ゆびという さびしきものを しまいおく かわてぶくろの なかのはくめい
作者:
杉崎恒夫 歌集「パン屋のパンセ」
この短歌の意味
読んだそのままに味わってみてください。解説をすると味気ないものとなってしまいますね。
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち
作者:穂村弘
「霜柱」が入っているので、これは冬の歌です。
時間が移り変わって夜がくる。そして、次第に凍って現れるだろう外の霜柱に思いが行く。
3分間待って、会えるのは海老たち。
歌に出てくるものは、皆、時間の移り変わりとともに姿を現す者たちです。
冬の夜にひとりならば、挨拶をするのはそういうものたちなのでしょう。
擬人化された夜と霜柱とエビですが、それらを擬人化する作者の状態が推しはかれます。
カップラーメンは孤独の象徴でもあるでしょう。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と応える人のいるあたたかさ
作者:俵万智 サラダ記念日
作者の歌でもっとも有名な歌の一つです。寒いとき、冬の短歌として、思い出す人も多いのではないでしょうか。
この歌の詳しい解説は下の記事に
まとめ
冬の短歌、いかがでしたか。体感的にも印象も強い冬、皆様もぜひ自分なりの短歌を作ってみてくださいね。