秋の短歌 近代・現代短歌から  

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秋の短歌 近代・現代短歌から

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秋の短歌は、四季を詠んだ歌のうちでも最も多いかもしれません。

さびしくものがなしく、しかし美しい秋の季節は古くから歌ごころを誘うものだったのでしょうね。

近代短歌と現代短歌から、秋の短歌をご紹介します。

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秋の歌 近代短歌より

目次

近代短歌から、秋を題材にした短歌、秋に詠まれた短歌をご紹介します。

 

おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く

作者

伊藤左千夫

一首の意味

庭に下り立ったら、今朝の寒さに驚いた。露に柿の落葉の深くまでが濡れていて

 

伊藤左千夫の代表作ともいえる「寂(ほろ)びの光」の冒頭の歌です。

老年に差し掛かった自分の境涯と重ねて、秋への急激なうつろいを詠んだ一連です。

 

今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽けき寂滅(ほろび)の光

作者

伊藤左千夫

現代語訳

今朝の秋の草に下りている朝露の何と冷え冷えと身に迫ってくることか。すべてがもはや滅びであるかのようなかすかな光を帯びて。

一連の中の代表作。

 

馬追虫の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし

作者:長塚節

現代語訳と歌意:

馬追虫(うまおい)の長く繊細な髭のように、かすかな気配でやってくる秋は目を閉じて、こころを澄ませて感じとるものだ

秋が虫の髭にやってくるという、作者の繊細さが感じられる歌です。

 

秋晴れの光となりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も

読み:あきばれの ひかりとなりて たのしくも みのりにいらん くりもくるみも

歌の意味

空の光も秋晴れになり、楽しいことに実りの季節に入っていくのだなあ 栗もくるみも

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『小園』

秋晴れの光となりて楽しくも実りに入らむ栗も胡桃も/斎藤茂吉『小園』

 

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ

読み:ちんもくの われにみよとぞ ひゃくふさの くろきぶどうに あめふりそそぐ

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『小園』岡の上

歌の意味

沈黙の中にある私に見よと言うかのように、百房に及ぶくらいたくさんの黒い葡萄の実りに雨が降りそそいでいる

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ 斎藤茂吉『小園』代表作

 

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

読み:「しらたまの はにしみとおる あきのよの さけはしずかに のむべかりけれ」

作者

若山牧水 わかやまぼくすい

一首の意味

白玉のように透き通って歯に沁みとおる秋の夜の酒は心静かに飲むべきであるよ

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ 若山牧水の秋の短歌二首

 

こほろぎのしとどに鳴ける真夜中に喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ

読み:こおろぎの しとどになける まよなかに くうなしのみの つゆはたりつつ

作者と出典

若山牧水 歌集『くろ土』(大正10年)

一首の意味

蟋蟀がしきりに鳴いている秋の真夜中に食べるこの梨の実からは、甘いしずくが落ちている

こほろぎのしとどに鳴ける真夜中に喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ 若山牧水【日めくり短歌】

 

金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に

読み:こんじきの ちいさきとりの かたちして いちょうちるなり ゆうひのおか

作者と出典:

与謝野晶子 『みだれ髪』

一首の意味

金色の小さい鳥のような形の銀杏の葉が、ひらひらと舞い散っていく。夕日差す丘に。

金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に 与謝野晶子

 

秋浅き木(こ)の下道を少女(おとめ)らは おほむねかろく靴ふみ来るも

作者:中村憲吉

秋になったばかりの良い気候の林の道を楽しそうに通う少女の姿を細かくとらえています。

このような感覚的なとらえ方がこの作者の独特なところです。

中村憲吉の短歌代表作品50首 馬鈴薯の花・林泉集・しがらみ・軽雷集・軽雷集以後より 付憲吉の文章

 

秋日ざし明るき町のこころよし何れの路に曲りて行かむ

作者:窪田空穂

秋のすがすがしい気候と楽しい心持を詠っています。

 

罪びとのごくに坐して妻とふたり秋夜(しうや)の骨を守らむとする

作者:木俣 修

作者は残念ながら6歳で愛児を病気で失いました。その悲しみを詠う歌をたくさん作っています。

他の季節よりも、秋であるところがなお悲しみを深めています。

 

家いでて遠くあそべば空はれし秋の彼岸のひと日くれたり

作者:山口茂吉

家を出て遠く出かけてくれば、秋晴れの空の下、彼岸の一日が暮れたのだなあ

作者は、斎藤茂吉に師事したアララギ派の歌人です。

秋分の日の電車にて床にさす光とともに運ばれて行く

作者:佐藤佐太郎

日が傾いてきて、電車に差す秋の光の美しさ。運ばれるのが人ではなくて光に焦点を当てたところがこの歌の新しさです。

 

 

秋の歌 現代短歌より

現代と現代に近い時代の短歌から、秋を題材にした短歌、秋に詠まれた短歌をご紹介します。

 

人を瞬(またた)かすほどの歌なく秋の来て痩吾亦紅 それでも咲くか

作者:斎藤史

歌を詠む人にとっては、クスリと笑ってしまうような歌です。

人の気を引くような歌ではなく、地味で線の細い、吾亦紅のような歌しかできないが、それでも歌を詠もうということが、咲く花にたとえられています。

 

大江山桔梗刈萱吾亦紅 君がわか死われを老いしむ

作者:馬場あき子

能に通じていた作者。「大江山」の謡にある。「頃しも秋の山草、桔梗刈萱破帽額(ききょう、かるかや、われも こう)。

紫苑といふは何やらん。鬼の醜草とは、誰がつけし名なるぞ」が詠み込まれています。

舞台では、この後に山伏に盃を勧める場面となりますが、そこで亡くなった君に語りかけるかのような作者の述懐が交錯します。

馬場あき子の短歌代表作品 さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

 

白萩に白萩こぼるるひるつかた遠くまで陽が照り追憶に似る

作者:河野 裕子

萩の花は秋を代表する花。たくさんの小花をつけるため、一つがこぼれると下の花にもかかります。

そちことで、ほろほろとこぼれる花に陽が射して、どこかで見た景色のような、追憶を掻き立てるような光景だという、美しい歌です。

河野裕子・永田和宏夫妻の短歌 『平成万葉集』第2回 

 

ひとふさの葡萄をはみて子のまなこ午睡ののちのひかりともり来

作者:花山多佳子

昼寝をしていた子が、まだ寝ぼけまなこでブドウを食べているが、一房を食べ終わるころには、目に力が戻ってくる。
その微細な変化をとらえています。

 

ゆく秋の川びんびんと冷え緊まる夕岸を行き鎮(しず)めがたきぞ

作者:佐佐木幸綱

秋の川の寒さに対照して、自分の心の中の情熱の激しさを表します。

「男歌」の短歌の代表と言われるのがこの作者です。

 

地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜ひゃくねんたったらだあれもいない

作者:俵万智 歌集『チョコレート革命』より

愛したり争ったりしながらこの世に生きている人たちも、百年が過ぎてしまったらいなくなってすべてが過ぎ去る。

この時の作者のニヒリズムを表します。もちろん、思い切れない何かを自らにそう言い聞かせて諭しているのです。

 

まとめ

古くからある有名な秋の歌、目に入ったものや好きな短歌を挙げてみましたが、いかがでしたでしょうか。

皆さんも季節の変化に目を向けてみて、秋を感じさせる歌をぜひ詠んでみてくださいね。

 

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