春の和歌でよく知られた有名な短歌作品にはどのようなものがあるでしょうか。
春の有名な和歌を万葉集・古今集・百人一首から、大伴家持、西行、紀貫之他の作品からご紹介します。
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春の和歌
春は誰にとっても心躍る季節、それは古今東西、いにしえから今に至るまで変わりません。
春の和歌はたくさんありますが、中でもよく知られた有名な短歌作品にはどのようなものがあるでしょうか。
春の有名な和歌を万葉集・古今集・百人一首からご紹介します。
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春の短歌 現代短歌と近代 俵万智,穂村弘,加藤治郎他
春の和歌 万葉集より
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
読み:こぜやまの つらつらつばき つらつらに みつつしのわな こぜのはるのを
意味:
巨勢山のつらつら椿を、じっくりとつらつと見ながら偲ぼうよ、巨勢山の春を
解説
作者、坂門人足(さかどのひとたり)の万葉集の和歌(巻1-54)で、椿を歌った歌として有名です。
「つらつら椿」というのは、椿の並木、または、椿の枝や花が連なった様子のことのようですが、繰り返される「つらつら」という語の響きが印象的です。
また、た行のツ音とラ行のラ音の艶のある音が椿の葉や、濃い花色を呼び起こしますね。
この歌が読まれたのは遅い秋の頃で、椿の花はありませんが、花の咲く春の様子を偲ぼうという意味で、宴席で呼びけられたものです。
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば
読み:うらうらに てれるはるひに ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもえば
現代語訳
うららかに照っている春日の中、ひばりが空に上がり、心は悲しい。一人もの思いをしていれば
解説
作者は、万葉集の編纂に当たったという、大伴家持 万葉集19巻・4292。
けれどもこの歌は、春の日差しや、ひばりが出てきているものの、春の楽しい心持ちを歌ったものではありません。
「心悲しもひとりし思へば」というのはこのような美しい春の景色の中にあって、それにそぐわない悲しい気持ちを持った自分、一首が表しているのは、その孤独をかみしめている歌人の姿なのです。
春の憂いを歌った、大伴家持の絶唱とされている和歌です。
春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも
読み:はるののに かすみたなびき うらがなし このゆうかげに うぐいすなくも
解説
同じく大伴家持の春の憂いを歌った一連の歌「春愁三首」の中の一首。
この和歌の中でも「悲し」という言葉が、そのまま使われています。
春の季節の中のなんとなくうら悲しい気分を歌い、それまでには万葉集にはない独特な表現として、とても優れたものとされています。
春過ぎて夏きたるらし白妙の衣干したり天の香具山
読み:はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほしたり あめのかぐやま
現代語訳
春が過ぎて夏が到来したようだ 天の香具山に白い夏衣が干してあるのを見るとそれが実感できる
解説
作者は持統天皇(万葉集1-28)。
夏の着物が天の香具山に干されているのを目にして、早くも夏が来ようとしているとその情景をそのままに歌ったものです。
何よりも初夏の到来を象徴する、白い衣のひるがえる、すがすがしく情景を歌ったものです。
この歌は、春というよりも、来たる夏に向かう歌ですがご紹介しておきます。
春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ
読み:はるされば まずさくやどの うめのはな ひとりみつつやはるひくらさむ
現代語訳と意味
春になるとまず咲く我が家の梅の花を、一人で見ながら、春の日を過ごそう
解説
作者名は、筑前守山上大夫となっていますが、これは山上憶良のことで、この歌は、令和の語源となった「梅花の歌」の中の一首です。
主語は憶良自身ですが、妻を亡くした大伴旅人に成り代わって詠んだとの解釈もあります。
君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ
読み:きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはゆりつつ
現代語訳と意味
あなたに差し上げるために春の野原に出て若菜を摘む私の袖に、雪がしきりに降りかかることです
解説
作者は光孝天皇(こうこうてんのう)、古今和歌集 1-3と百人一首の15番目の歌にも選ばれています。
光孝天皇が親王(天皇となる前)であったときに、人に若菜を贈ろうとして、この歌を手紙に添えました。手紙に添えた歌。
春の野原、青々とした草、雅な着物で草に手を伸ばす作者、そこにはらはらと、春の淡雪がふりかかる、なんともロマンチックな情景を見事に描き出しています。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
読み:あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
現代語訳と意味
大空のはるかに振り仰ぐと月が出ている。あの月は昔わがふるさとの、春日(かすが)にある奈良の三笠の山に出たのと同じ月なのだろうか
解説
作者は阿部仲麻呂。古今和歌集 9-406に収録されている和歌で、仲麻呂が遣唐使として唐に渡った時に、日本を思いながら遠い土地で読んだ和歌です。
異国で見る月と、日本で見る月が同じである、そのことからもさらに郷愁を掻き立てられるのです。
願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
読み:ねがわくは はなのしたにて はるしなん そのきさらぎの もちづきのころ
現代語訳と意味
願うなら、桜の咲く春、その木の下に死にたいものだ。如月の満月の頃に
解説
作者は西行法師 古今和歌集に収録されています。
この場合、「如月の望月の頃」というのは、旧暦二月十五日の満月のことで、新暦では例年3月末~4月初め頃に当たります。
お釈迦様と二月十五日はお釈迦様の亡くなられた日です。
西行法師の「法師」というのは僧侶の事なので、出家の身であればこそ、花の下で生まれたお釈迦様のように、花に囲まれて、お釈迦様の亡くなられた日の頃に自分も死にたいという僧侶としての願いを詠んだものです。
久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
読み:ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずこころなく はなのちるらん
現代語訳と意味
日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜の花は散っていくのだろうか
解説
作者は紀貫之 古今集2-84と百人一首の33番目の歌となっている有名な秀歌です。
春ののどかな気分と、あわただしく散っていく桜、静と動とを対比させるという優れた手法で、花が散るのを哀惜するこころが存分に表現されています。
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
読み:そでひじて むすびしみづの こほれるを はるたつけふの かぜやとくらむ
現代語訳と意味
夏のころ知らず知らず袖がぬれながら、すくいあげた水が、寒い水のあいだ凍っていたのを、
解説
紀貫之の古今集収録の和歌。立春の日に春の訪れの喜びを詠んだ歌。
季節のうつろいを水と凍りの変化に焦点を合わせて一首に詠み込んでいます。
さらに「掬(むす)び」と「結び」、「春」と「張る」、「立つ」は「裁つ」との掛け詞(ことば)は、「結ぶ」「張る」「裁つ」「とく(解く)」の「袖」の縁語などの技巧が凝らされている秀歌とされています。
終わりに
春の短歌で有名なものは10首に収まらないほどたくさんあります。
万葉集と百人一首、古今集からコンパクトに拾ってみましたが、他の歌集を含めて、春の歌を鑑賞されてみてくださいね。