短歌の句切れ 見分け方を用例をあげて解説  

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短歌の句切れ 見分け方を用例をあげて解説

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句切れは短歌の表現技法のひとつです。この記事では句切れについてわかりやすく解説を記します。

試験で必ず問われる句切れについて、しっかりと把握しておきましょう。

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句切れとは何か

短歌における句切れとはそもそもどのようなものなのか。

斎藤茂吉の教科書・教材の短歌から見てみましょう。

のど赤きつばくらめふたつはりにゐて 垂乳根の母は死にたまふなり

この歌は「句切れなし」です。

もうひとつ、

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

この歌は「とほりたり」のあと「3句切れ」です。

この違いは何を解説していきます。

短歌とはそもそも何かの基礎知識は下の記事にあります。

関連記事:
短歌とは?ルールと基礎知識を知って役立てよう

他の表現技法は下の記事で

短歌の表現技法 比喩, 擬人法, 体言止め, 反復法, 倒置法, 対句, 省略法とは

 

「句切れ」とは句点「。」を打つところ

基本的に、句切れとは、一つの文の終わりに「句点。を打つところ」です。

もう少し正確にいうと、意味上の切れ目、または文の切れ目が句切れです。

句切れは、動詞の終止形、あるいは動詞の後の助動詞の終止形、または名詞にあります。

句切れのある個所によって、最初の5文字の後ろなら一句切れ、57の後なら2句切れ、575の後が3句切れ、5757の後が4句切れ、最後の7は結句といい、結句に句切れがある場合は、「句切れなし」と呼びます。

 

句切れなしの短歌

用例は、手元にあった寺山修司の短歌からしめします。

一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

句切れなし。

「まきし」は動詞ですが、「まきしのみに」と続くので、終止形ではなくて連体形。

「よびき」は終止形で最後の5句目の後ろの句切れなので「句切れなし」です。

句切れなしの短歌の例

講堂で賛美歌歌う友達のピアスの穴を後ろから見る 小島なお

砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね 俵万智

 

初句切れの短歌

初句切れとは最初の句の最初の5文字で、句点を置けるような短歌です。

初句切れの短歌の例

草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり 北原白秋

海恋し潮の遠鳴りかぞえては少女となりし父母の家 与謝野晶子

つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて 馬場あき子

 

2句切れの短歌

鵙の巣を日が洩れておりわれすでに怖れてありし家欲りはじむ

主語は「日」述語は「洩れており」「おり」は終止形。

3句目以下は、「われ」が主語、「欲りはじむ」が述語で二つの文にそれぞれ終止形がある重文で、「洩れており」の二句切れ。

2句切れの短歌の例

信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空の色 島木赤彦

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生 栗木京子

白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水

葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり 釈迢空

鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白 馬場あき子

夏のかぜ山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり 与謝野晶子

3句切れの短歌

向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し

「向日葵は捧げおり」で一つの文、「墓標は低し」で一つの文の重文で、「捧げおり」の「おり」は終止形なので、ここに句点が入る箇所です。よって、この歌の場合、三句切れとなります。

3句切れの短歌の例

蛇行する川には蛇行の理由あり急げばいいってもんじゃないよと 俵万智

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも 北原白秋

 

4句切れの短歌

4句切れの短歌は、575のあとの7のあとで文章がいったん終わり、そのあとに結句7文字が続く構成です。

4句切れの歌には、倒置法を用いている歌が多いです。

朝の渚よりひろいきし流木をけずりておりぬ愛に乾けば

「けずりておりぬ」の「おりぬ」で、終止形。4句切れ。

4句切れの短歌の例

わがシャツを干さん高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん 寺山修司

幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく 若山牧水

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ 前田夕暮

 

句切れの見分けがつきにくい時は

句切れの見分けがつきにくい短歌の場合、句切れは多く名詞の後にあります。

主格助詞が省略されている場合は、句切れではないので注意してください。

寺山修司の作品の例より

わが影を出てゆくパンの蠅一匹//すぐに冬樹の影にかこまる

蠅叩き舐めいる冬の蠅一匹//なぐさめられて酔いてかえれば

「蠅一匹」のあとに、ちょっと間をおいて読むことになりますが、上の歌は「蠅一匹が囲まれた」と続く「蠅一匹」は主語となる語なので、そのあとに「は」または「が」(文語の場合は「の」)が省略されていることになります。

なので、ここは句切れではありませんで、この歌の場合は「句切れなし」になります。

二首目は「蠅一匹」は「蠅叩き(を)舐めいる」が述語ですが、これは蠅を修飾する形容詞節で、「いる」は連体形。

酔って帰った作者とどういう関りがあるのかというと、蠅一匹「がいた」または「を見た」が省略されています。

蠅一匹が「なぐさめられて」では、つながりません。

なので、意味の切れ目があるここは、「句切れ」となります。

寺山修司の短歌の韻律の特徴として、三句切れが多いということを、馬場あき子が指摘しています。

三句切れは、安定した印象を与え、二句切れと四句切れは、やや鋭い印象になることが多いです。

なお、文末に名詞が来る場合は、そこが句切れで、その場合も 句切れなしですが、名詞で終わる場合を特に体言止めと呼びます。

体言止めの例

名詞で終わるものを「体言止め」と呼びます。

すでに亡き父への葉書一枚もち冬田を越えて来し郵便夫

「郵便夫」の名詞で終わっています。名詞の後ろに「の」や「は」などの助詞もありません。

この歌は句切れなしです。

他に思いつく注意点

複文の場合は、主語と動詞が形容詞節、副詞節など「節」をなして、他の語を修飾している場合は動詞は終止形にならず、その場合は句切れとはなりません。

動詞の句切れの場合は、動詞の活用の終止形、それから助動詞の終止形かどうかを注意します。

または接続助詞などが動詞についている場合も、句切れとはなりませんので注意してみてみてくださいね。

今日見つけた面白い歌

人生のところどころに旬がある何時だって旨い博多めんたい

「申し申し」の中の青木昭子さんの歌。旬のあるものとないものの対比。

さて、この歌の句切れはどこでしょうか。上の歌を見ながら考えてみてくださいね。




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