わがシャツを干さん高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん
寺山修司の有名な短歌代表作品の訳と句切れ、文法や表現技法などについて解説、鑑賞します。
スポンサーリンク
わがシャツを干さん高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん
読み:わがしゃつを ほさんたかさの ひまわりは あすひらくべし あすをしんぜん
作者と出典
寺山修司 「空には本」
現代語訳
私のシャツが干せるだろう高さの向日葵は、今はつぼみだが明日開くだろう。明日を信じよう。
寺山修司の短歌一覧は→ 寺山修司の有名な短歌と教科書掲載作品一覧
語と文法
語と文法の解説です
「干さん」について
「干す+ん」 「ん」は文語では「む」(読みはどちらも同じ「ん」
ここでは、「干すのに適当な高さの向日葵」と理解できる
「む」の解説
① 推量(~だろう)② 意志(~つもりだ)③ 適当・勧誘(~のがよい)④ 婉曲・仮定(~ような・~としたら)
「開くべし」
「べし」は「べき」の終止形。
「べし」の解説
① 推量(~だろう・~そうだ). ② 当然(~
「明日開くだろう」というよりも、もう少し強い「明日開く」ことを確信している意味。
句切れについて
4句切れ
一首の解説
作者の若々しさと、若さゆえの希望が表された一首。
近い未来に花開く向日葵は、何かを成就したい若者の気持ちを体現するモチーフ。
「明日開くべし」の「べし」の未来への確信と、「明日を信ぜん」とする意志が繰り返し強調されて表される。
「わがシャツ」の表すもの
「わがシャツ」を一つの象徴(比喩)とみれば、自分の希望や未来、望みなどがあげられる。
色は表には出ていないものの、読み手はシャツの白さと、向日葵の黄色を自然に思い浮かべて、その隠れた色の点でも、白と黄色のくっきりとした対照にすがすがしさを感じさせられる。
寺山修司の向日葵
向日葵というアイテム、この印象のくっきりした、力強い夏の花は青春を高らかに詠う寺山の短歌にはたびたび登場する。
一粒の向日葵の種蒔きしのみに荒野をわれの処女地と呼ばむ
列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし
背丈の高さ
また、向かい合った時に、自分と同じ高さのものも、寺山の歌に繰り返し現れるモチーフの一つ。
向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
自分と同じくらいの”もの”を象徴的に挙げて、それを自分が越えるということも、また青春期特有の心境なのだろう。
それもこれらの歌の若々しさを提示するものとなっている。
対象と寺山修司の自分
向日葵は背の高い植物だが、その花を見て自分の分身のように思い、それを越えていくという思いつきもやはり寺山特有の物だろう。
木や花を擬人化するというのは、他の歌人にもあるが、この歌では、向日葵は寺山の分身なのであり、今日よりは明日の未来への飛躍を想う若者の心が、直截に表現されている。
寺山修司プロフィール
寺山 修司(てらやま しゅうじ)1935年生
青森県弘前市生れ。 県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。 早大教育学部に入学(後に中退)した1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。 以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真などマルチに活動。膨大な量の文芸作品を発表した。