白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消(け)なましものを 在原業平の新古今和歌集の和歌、他に「伊勢物語」にも収録されている短歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。
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白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消(け)なましものを
読み:しらたまか なにぞとひとの といしとき つゆとこたえて けなましものを
注:「伊勢物語」においては、結句は「消(き)えなましものを」
作者と出典
在原業平(ありわらのなりひら)
新古今851 他「伊勢物語」6段
在原業平については
在原業平の代表作和歌5首 作風と特徴
現代語訳と意味
いとしいひとが「あれは白玉か何か別のものか」と尋ねた時に「はかない露だよ」と答えて、露のようにいっそ私も消えてしまえばよかったのに
伊勢物語の訳文と共に読むには下の記事も詳しいです。
語と句切れ
・白玉…美しい玉のこと。美しい女性のことを表現するときにも使われる
・か…疑問の終助詞
・ぞ…強意の終助詞
消なましものを 品詞分解
・消(け)…基本形「消ゆ」
・なまし…「ぬ」の未然形+まし(反実仮想)
・ものを…詠嘆の終助詞 意味は「…だなあ」
句切れ
句切れなし
古今和歌集と新古今和歌集の代表作品 仮名序・六歌仙・幽玄解説
解説
この歌に詠まれている「ひと」は後に清和天皇の后となった二条の后(きさき)という人物で、彼女が若い時に鬼に食われてしまった(実際は連れ去られてしまった)というあらすじです。
「露」ははかないもの象徴であり「消えなましものを」は「死んでしまえばよかった」として、恋しい人と引き離された悲嘆を詠います。
以下に、詳しいあらすじと、解釈のポイント「露」「消なましものを」について解説します。
伊勢物語のあらすじ
物語の場面をもう少し詳しく記します。
『伊勢物語』では、在原業平とおぼしき主人公の『男』が、長年好きだったある身分の高い女性を連れ出します。
郊外の草地を歩いていると、地面の草は露で濡れて光っている、それに対して女性が「白玉でしょうか、光ってキラキラしているものが何でしょうね」と聞いた。
急いでいた主人公はそれに答えずに道を進み、あばら家に女性を隠すのですが、その後女は「鬼に食われて」しまいます。
その時に主人公が詠んだ歌がこの歌です。
なお「鬼に食われた」のは比喩であって、実際には、女性は女性の兄によって連れ戻されたとされています。
この歌の解釈のポイント
この歌の解釈のポイントをあげます。
「露」の意味するもの
「露(つゆ)」は、露は、朝に植物の葉などに発生しますが、日が昇ると消えてしまうことから、「儚(はかな)いもの」の意味です。
同じ意味で、他の和歌にも大変多く使われる言葉です
例:豊臣秀吉の辞世の句 「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも夢のまた夢」
露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 豊臣秀吉
「露」に託す作者の心情
その「露のように」消えてしまえばよかった」というのは、死んでしまえばよかったという意味です。
恋しい女性が連れ去られてしまって、もう二度と会えない、このように引き離されるのなら死んだほうがよいという、強い恋情ゆえの悲嘆の感情を表しているのです。
在原業平の歌人解説
在原業平(ありわらのなりひら) 825年~880年
六歌仙・三十六歌仙。古今集に三十首選ばれたものを含め、勅撰入集に八十六首ある歌の名手。
「伊勢物語」の主人公のモデルと言われる。
在原業平の他の代表作和歌
から衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬるたびをしぞ思ふ
白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを(古今851)
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつは元の身にして(古今747)
名にし負はばいざ言問はむ都鳥我が思う人はありやなしやと(古今411)