笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば 柿本人麻呂  

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笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば 柿本人麻呂

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笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば

柿本人麻呂作の万葉集の和歌の代表作品「石見相聞歌」の反歌の現代語訳、句切れや語句、品詞分解を解説、鑑賞します。

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笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば 解説

現代語の読み:ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもう わかれきぬれば

作者

柿本人麻呂,肖像画

静神社の三十六歌仙より

柿本人麻呂 かきもとのひとまろ

出典

万葉集 2-133 「石見相聞歌」の反歌

他の万葉集の歌人は→ 万葉集の代表的な歌人一覧まとめ

現代語訳

笹の葉は山全体でさやさやと音を立てているけれども、私は一心に妻のことを思っている。別れてきてしまったので

石見相聞歌の解説 表現技法と品詞分解 万葉集 柿本人麻呂

石見相聞歌は柿本人麻呂の代表作の和歌です。 石見相聞歌の意味と現代語約表現技法と品詞分解の解説と鑑賞を記します。

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語句と文法の解説

  • み山も・・・「み」は接頭語 意味は「美しい・立派である
    山は高角山をさす
    「も」は強意
  • さやに・・・さやさやと 擬音
  • さやげども・・・「ども」は「・・・けれども」の意味の接続助詞

品詞分解


の・・・格助詞

は・・・係助詞
み山
も・・・係助詞 強意
さや・・・副詞
に・・・格助詞
さやげ・・・4段 已然形
ども・・・接続助詞
吾・・・代名詞
は・・・係助詞

思ふ・・・4段 終止形
別れ・・・下2段 連用形
来・・・カ変 連用形
ぬれ・・・助動詞・完了・已然形
ば・・・接続助詞
の・・・格助詞

 

句切れと修辞について

  • 4句切れ
  • 倒置
  • 字余り

 

鑑賞

柿本人麻呂の石見相聞歌と呼ばれる一連より、長歌の後の反歌の2首目

反歌とは

反歌とは長歌の終わりに詠み添えて、長歌の意味を締めくくったり、不足を補ったり、反復。圧縮して感情を高めたりするための歌。

※この歌の長歌の解説は

石見相聞歌の解説 表現技法と品詞分解 万葉集 柿本人麻呂

意味

笹の葉の音が山全体を覆っても、私はただ妻を思っているという歌。

笹の葉の音は、面積の広い山を包むような音であるが、妻を思う心は笹の葉の音には乱されないという意味がある。

そのくらい妻を思う思いが強いという意味なのであるが、ここでは妻を意志的に思いやるという意味でなくて、亡くなった妻が忘れられんらいという意味であろう。

「別れ来ぬれば」妻を思う理由であって、倒置で表現されているが、この歌は二首続けてなので、あくまで妻が亡くなった=別れ来ぬれば」に焦点があるのではなく、4句の「吾は妹思ふ」に作者の言いたいことであるだろう。

亡くなった妻への愛惜の念と、亡くなってなお続く、妻への愛情の表現がポイントである。

笹の葉の音の他の解釈

逆に、笹の葉の音が作者の胸騒ぎのような、収めがたい妻への思いを表すという読み方もできる。

意味状は「ども」として、前項を打ち消して次に続くようにはなっているのだが、いずにれしても「ささのは・・さやに」で一定の聴覚的な刺激を与える効果が意図されているのは変わらないところであろう。

なお、「吾は妹を思う」というストレートな表現は、万葉集にはこの一首のみという指摘がある。(注:『万葉の歌人と作品』)

歌の効果

一首で大きな効果を上げているのは、擬音を含む笹の音が、歌の音としてそのまま持ち込まれているところである。

すなわち「ささのは・・・さやに・・・さやげども」のサ行の連続がそれで、これが笹の葉の葉擦れの音を再現している。

つまり「ささ・・・さ・・・さ」のこのうるささにも関わらず、として「吾は妹思ふ」と具体的に表しているのである。

万葉集の原文の詠みの異説

ただしこの部分には「さやげども」ではなくて「みだるとも」の音が正しいとする説の方が有力である。

斎藤茂吉の『万葉秀歌』には詳細な解説があり、他に『万葉の歌人と作品』にも言及がある。

斎藤茂吉のこの歌の評

今現在山中の笹の葉がざわめき乱れているのを、直ぐ取りあげて、それにも拘わらずただ一筋に妻をおもうと言いくだし、それが通俗に堕せないのは、一首の古調のためであり、人麿的声調のためである。そして人麿はこういうところを歌うのに決して軽妙には歌っていない。飽くまで実感に即して執拗に歌っているから軽妙に滑って行かないのである。-出典:『万葉秀歌』斎藤茂吉著

この反歌の1首目の歌

石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹みつらむか 柿本人麻呂

石見国の場所

島根県西部(石見地方)の高角山公園には人麻呂の歌碑がある。

柿本人麻呂について

柿本人麻呂 (かきのもとのひとまろ)

飛鳥時代の歌人。生没年未詳。7世紀後半、持統天皇・文武天皇の両天皇に仕え、官位は低かったが宮廷詩人として活躍したと考えられる。日並皇子、高市皇子の舎人(とねり)ともいう。

「万葉集」に長歌16,短歌63首のほか「人麻呂歌集に出づ」として約370首の歌があるが、人麻呂作ではないものが含まれているものもある。長歌、短歌いずれにもすぐれた歌人として、紀貫之も古今集の仮名序にも取り上げられている。古来歌聖として仰がれている。

 

柿本人麻呂の代表作

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ

磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ

大君は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも

あしひきの山川の瀬の響るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ

天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ

もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行く方知らずも

秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めぬ山道知らずも

衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし

 

万葉集解説のベストセラー

万葉集解説の本で、一番売れているのが、斎藤茂吉の「万葉秀歌」です。有名な歌、すぐれた歌の解説がコンパクトに記されています。




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