『一握の砂』は石川啄木の短歌集です。
この記事は学習者のために石川啄木の短歌の感想を書くときにヒントになるところを示します。
『一握の砂』代表作
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『一握の砂』は石川啄木の代表作で、明治41年以降の作品から551首が掲載されています。
そのうち最も有名な代表作品は下の8首です。
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず
はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとくに
それぞれの鑑賞のポイントは各歌の解説ページに詳しいですが、この記事では感想を書く時のポイントをお伝えしておきます。
※代表作をまとめて読むなら
『一握の砂』石川啄木のこれだけは読んでおきたい短歌代表作8首
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむるの感想
読み:とうかいの こじまのいその しらすなに われなきぬれて かにとたわむる
感想のポイント
この歌は歌集の一番最初の歌で、まだ作者のことがよくわからないまま 読み進めることとなります。
その時の疑問に思う点をそのまま書き出してみましょう。
「東海の小島」とはどこなのだろう。 作者はなぜそこにいるのだろうか。
「小島の磯の白砂に」の 作者の位置するのはどういう状況なのか。
「われ泣きぬれて」作者のないている理由は何か。
「蟹とたわむる」そうしている時の作者の気持ち。
これら を 想像の上で感想を書いてみましょう。
※この歌の詳しい解説は
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる/石川啄木/意味と句切れ
頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
読み:ほにつたう なみだのごわず いちあくの すなをしめしし 人を忘れず
感想のヒント
一握の砂を示しし人というのは、歌の上からは作者のことではありません。
流れる涙を拭かないで流れるままに 手につかんだ 砂を示す、 そのようにする人の心境を想像してみましょう。
また、その人に面して作者は「忘れず」としていますが、その理由は何だったのか、その点も思うことを書いてみましょう。
※この歌の詳しい解説は
頬につたふ涙のごわず一握の砂を示しし人を忘れず/石川啄木/意味と句切れ
砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日
読み:すなやまの すなにはらばい はつこいの いたみをとおく おもいいずるひ
感想のヒント
「初恋の」と あるので 初恋の気持ちを歌った短歌 だということが分かります。
「初恋のいたみ」というときは、 作者の初恋 は どうなったのかというと、 良い結果になったとは思えません。
「遠く」というのは人との距離ではなくて、 初恋の日から長い時間が経ったということです。
初恋を思い出す 作者の心境を想像してみてください。
※この歌の詳しい解説は
砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日/石川啄木/意味と句切れ
たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず
読み:たわむれに ははをせおいて そのあまり かろきになきて さんぽあゆまず
感想のヒント
初句の「たはむれに」からは、 作者がふざけて母親を背なかにおんぶして歩いてみようと思ったことがわかります。
「そのあまり軽き(かろき)に」は、 作者が思っているよりも背負った母の重さがあまりにも軽かった。
体重が軽いというのは悪いことばかりではありませんがなぜこの時 作者はその軽いことに 泣いてしまったのか。
それは作者が母上の身体が軽いことから、これまでのが母との日常にあった出来事を思い出したからに他なりません。
その結果 母はこのように軽くなってしまったのだ とい思い出すところに作者の涙の理由があります。
作者の母への思いを想像して書いてみましょう。
※この歌の詳しい解説は
たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず 石川啄木
はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る
読み:はたらけど はたらけどなお わがくらし らくにならざり じっとてをみる
感想のヒント
「はたらけど はたらけど」というのは、 懸命に働くことを続けていてもという意味です。
どうして頑張っているのに生活はいつまでたっても楽にならない。
ここでの生活が楽にならないことの内容は、 忙しかったり 自由がきかないということではなくて暮らしが貧乏だということでしょう。
「楽にならざり」は句切れなので、ここで一旦 文章が切れて それとは つながりがないかのように作者は自分の手をじっと見つめます。
この時の作者が手を見つめる 気持ちを想像してみましょう。
※この歌の詳しい解説は
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る/石川啄木/意味と句切れ
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
読み:こずかたの おしろのくさに ねころびて そらにすわれし じゅうごのこころ
感想のヒント
「不来方」はお城の名前、その城の庭にある草に寝転んでいると、 作者は 仰向けでいるため、自然に空が目に入ってきます。
その空が「青い、きれいだ」という言葉は 記されていません。
その代わり、「空に吸はれし」という比喩で表現されています。
吸われたものは作者の心です 。
空に心が吸われるという時の、作者の心境と空の様子も合わせて想像してみましょう。
※この歌の詳しい解説は
ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
読み:ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの ひとごみのなかに そをききにゆく
感想のヒント
場所はおそらく上野駅のような人がたくさんいるところです。 作者の故郷の岩手県の 言葉には 方言 や鉛が見られます。
東京に住んでいるとそれらの鉛に接することはまれなのですが、地方から毎日のように上京してくる人が見られる 上野駅であれば、 東北地方からやってくる人がたくさんおり その話声に耳を傾けることができます。
作者が訛りや故郷の言葉を聞きたいというのは、 訛りが懐かしいだけではなくて、故郷を懐かしく思う気持ちがあるからです。
長く ふるさとを離れている人の心境はどのようなものなのかを想像してみましょう。
※この歌の詳しい解説は
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく/石川啄木/意味と句切れ
やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとくに
読み:やわらかに やなぎあおめる きたかみの きしべめにみゆ なけとごとくに
感想のヒント
北上(きたかみ)の岸辺というのは、作者の故郷の川のことです。
そこに 春になると 柳の木が芽吹いて 青い葉が見られるようになる。
「岸辺(きしべ)目に見ゆ」は「目に見える」ということで、 作者が実際にこの景色を見ているのではないことが分かります。
作者は故郷の北上川の柳の木を思い出して目に浮かべているのです。
そしてそれが懐かしいということだけではなくて、 まるで 作者に泣きなさいというように作者には思える。
どういうことかと言うとその光景が作者の胸に迫るものとなっているということが分かります。
ふるさとの光景を単に懐かしいなと思い出すだけではなくて、 それを思い出すだけで泣いてしまうという時 の作者とふるさとのつながりは深いと言えます。
なぜ 作者が泣いてしまうのかは、 作者のこれまでを調べてみるとわかるかもしれません。
※この歌の詳しい解説は
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けと如くに/石川啄木表現技法
一握の砂 全体のまとめ
これらの代表作に共通しているのは、 作者が泣いており、楽しい歌ではなくて悲しい歌が多いこと。
そして、 今作者の見ている景色ではなくて、 思い出の中の風景が多いこと。
作者は失恋したり、働いていても貧乏であったり、 母上と親しげなふれあいはあっても、幸せそうではないことが伺えます。
これらの歌を読んで皆さまはどのようなことを思われたでしょうか。
感想文は背伸びをする必要はありません。
また、正解も誤りもありません。
ぜひ思った通りに書いてみてくださいね。