10月23日は「霜降(そうこう)」。秋が深まり露が冷気によって霜となる頃を指します。
きょうの日めくり短歌は、霜にちなむ短歌や和歌を、万葉集から現代短歌まで広い範囲でご紹介します。
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「霜降」とは
きょう10月23日は「霜降」、読みは(そうこう)です。
二十四節気の一つの16番目、秋が一段と深まり露が冷気によって霜となって降り始める頃を指します。
きょう23日から立冬までの間に吹く寒い北風は、木枯らしと呼ばれる風になります。
楓や銀杏が紅葉する季節でもあり、歌ごころを誘う季節でもありますね。
きょうは、「霜降」にちなんで霜や初霜の短歌、和歌をご紹介します。
心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花
こころあてに おらばやおらん はつしもの おきまどわせる しらぎくのはな
作者と出典
作者:凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
出典:古今集 秋下・277 百人一首 29番
現代語訳と意味
もし折るのなら、当て推量で折ろうか。初霜が置いて、その白さで霜か菊かと、人を困惑させれている白菊の花よ
詳しくは解説ページでご覧ください。
ありつつも君をば待たむうちなびくわが黒髪に霜のおくまで
作者:万葉集87 磐之媛命
意味は、「このままここにいてあなたを待ちましょう。うちなびくわが黒髪に霜が置くまで」というもの。
訪れる相手を待って、外に立ってお迎えしようという意味の歌ですが、相手は来てくれたのでしょうか。
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける
作者:中納言家持 (大伴家持)
百人一首の6番目の歌。
意味は、七夕の天の川にかかる橋、その橋がかささぎの翼で二人を渡すのだが、遠く眺めると、そこに星が白く霜のように散らばっているのが見える。もう夜も更けたのだなあ。
霜と言っても、七夕の歌なのです。
七夕の天の川の橋、あれはかささぎという鳥がかざした翼でできた橋だというのです。ファンタジックですね。
夜明がた霜ふみくだき道ゆけば草靴片足打ち捨てありぬ
作者は中原中也。
13歳の頃から短歌を詠んでいたそうです。
霜が降りるのは、いつも朝方早いうちのことです。短歌に「霜」と出てきたら、時間は朝を指します。
東京へ帰るとわれは冬木原つらぬく路の深き霜踏む
作者:窪田空穂
戦時中疎開で東京を離れていた作者は、冬になって東京に戻ろうとしたようです。
「深き霜」に東京とは違う、厳しい寒さがうかがえます。
霜しろき庭に入り来て 土深く くづるゝものゝ音を聞きたり
作者:釈迢空
崩れるものは霜だけではなく、作者の内面をも象徴するものなのでしょう。
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち
作者:穂村弘
霜と言って真っ先に思い出す現代短歌の作品。
「霜柱」の夜だからこそ、海老に「ハロー」と呼び掛ける作者の孤独が表されます。
銀行の窓の下なる舗石の 霜にこぼれし 青インクかな
作者:石川啄木
白い霜と青インクのコントラストを詠ったもの。
もう一つ「真夜中の出窓に出でて 欄干の霜に手先を冷やしけるかな」の歌もありますが、地面ではない霜です。おそらく、小説に書き疲れた時の歌なのでしょう。
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
作者:斎藤茂吉「死にたまふ母」
斎藤茂吉が母の看取りに故郷山形へ向かう時の歌です。
季節は春先でしたが、東北はまだ寒かったのでしょう。
霜白き草野の中を流れ来る川の上には靄だちにけり
作者は永井ふさ子。斎藤茂吉と深い交際があった女性です。
この歌は、最初斎藤茂吉の作品と間違われて、茂吉の全集に入れられたそうです。
茂吉の歌と誤った原因は、茂吉がその出来栄えを喜び、みずからの手帳に書きとめ宝のようです。
そのくらい優れた歌であるということです。
永井氏の話になると、茂吉との関係ばかりが取りざたされますが、短歌をみると大変優れた才能を持っていたことがわかります。
だからこそ、茂吉とそこまで親しくなれたのです。
おほははのつひの葬(ほふ)り火田の畔(くろ)にいとども鳴かぬ霜夜はふり火
こちらは、斎藤茂吉の『あらたま』の代表作品、「祖母」の死の一連です。
「霜夜」は一月の夜のことです。
この一連の霜の歌は
おほははのつひの命にあはずして霜深き国に二夜ねむりぬ
山峡(やまがひ)にありのままなる道の霜きえゆくらむかこのしづけさに
人の死に面する作者の静けさと荘重さのある一連です。
『あらたま』の中でもぜひ読んでほしい連作です。
ものの行とどまらめやも山峡の杉のたいぼくの寒さのひびき 『あらたま』
きょうの日めくり短歌は、「霜降」にちなむ、霜の短歌をご紹介しました。
それではまた!
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