拾遺和歌集は三代集の一つの勅撰和歌集です。
拾遺和歌集から有名な和歌とや教科書に掲載された作品を現代語訳付き、作者別に一覧にまとめます。
拾遺集とは
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拾遺和歌集は、古今・後撰に次ぐ第三番目の勅撰和歌集で、いわゆる「三代集」の最後にあたる歌集です。
三代集について
三代集とは『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』の3勅撰和歌集の総称、まとめて呼ぶ時の呼び名です。
三代集の「三代」というのは天皇が三人の三代というところからきています。
三代集の順番
三代集は年代順に新しいものを並べると下の通りになります。
歌集名 | 読み方 | 命じた天皇 | 時代(平安時代) | 選者 |
古今和歌集 | こきん | 醍醐天皇 | 905年 | 紀貫之他 |
後撰和歌集 | ごせん | 村上天皇 | 951年以降 | 清原元輔 |
拾遺和歌集 | しゅうい | 花山天皇 | 1006年 | 花山天皇他 |
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拾遺和歌集の詠み
読み方は「しゅうい」和歌集です。
拾遺の意味は、「漏れ落ちている事柄・作品を拾い補うこと」であり、古今、後撰和歌集に入手しなかった、前代の勅撰集に漏れた秀歌を拾い集めるという意味でまとめられました。
拾遺和歌集の撰者
花山院もしくは藤原公任が撰進したとする説がありますが、はっきりしていません。
拾遺和歌集の成立と時代
拾遺和歌集が成立したのは、寛弘2年(1005年)から寬弘4年といわれています。
拾遺和歌集の時代は、平安時代にあたります。
ただし、成立事情が曖昧で最初は「拾遺抄」としてまとめられていたものが、後に増補されて、「拾遺和歌集」として和歌集として成立したという説が現在では有力です。
拾遺和歌集と天皇
和歌集の作成を命じたのは一条天皇とされています。
天皇の命によって作成された和歌集のことは勅撰和歌集といわれます。
拾遺和歌集の特徴
拾遺和歌集は、古今、古今・後撰に継ぐ和歌集で「三大和歌集」の一つとなっています。
歌の数は約1350首。
『拾遺集』は当時の歌壇の流れに乗った平明優美な歌風で、賀歌・屏風歌・歌合など晴れの歌が多い[1]。特に恋歌が優れており、小倉百人一首に8首採られている。
拾遺和歌集の作者
- 紀貫之(113首)
- 柿本人麻呂(104首)
- 大中臣能宣(59首)
- 清原元輔(46首)
- 平兼盛(38首)
が代表的な歌人です。
他にも、
- 和泉式部
- 斎宮女御
- 藤原道綱母
- 藤原公任
が歌人として有名です。
拾遺和歌集の作品と現代語訳
拾遺和歌集の和歌で主に教科書に取り上げられたり、有名でよく知られている作品は以下の作品です。
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関
読み:みやこをば かすみとともに たちしかど あきかぜぞふく しらかわのせき
作者と出典
能因法師 後拾遺集 羇旅
※能因法師の他の歌は
能因法師の代表作和歌作品
現代語訳
都を春の霞が立つとともに出発したが 早くも秋風の吹く季節となってしまった、白河の関に着く頃には
暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月
読み:くらきより くらきみちにぞ いりぬべき はるかにてらせ やまのはのつき
出典
拾遺集 巻二十 哀傷
現代語訳と意味
暗いところから、またいっそう暗い道に入っていく。山の端に出ている月よ、はるか遠くまで光を照らしてください。
東風吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春を忘るな
読み:こちふかば においおこせよ うめのはな あるじなしとて はるをわするな
作者と出典
菅原道真 『大鏡』『拾遺和歌集』
現代語訳
東の風が吹いたならば、その香りを送っておくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春を忘れるなよ
関連記事:
吹く風をなにいとひけむ 梅の花散りくる時ぞ香はまさりける
【作者と出典】
凡河内躬恒(拾遺集30)
【歌の意味】
吹く風をどうして厭おうか、梅花は散るときこそ薫り高くなるのだから
関連記事:
春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えねかやはかくるる 凡河内躬恒
行きやらで山路くらしつ郭公今一声の聞かまほしさに
現代語での読み:
ゆきやらで やまじくらしつ ほととぎす いまひとこえの きかまほしさに
作者
源公忠 みなもとのきんただ
平安時代の歌人で三十六歌仙の一人
出典
『拾遺集』『大鏡』
八重むぐら茂れるやどのさびしきに人こそ見えね秋は来にけり
読み:やえむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり
作者と出典
作者:恵慶法師 (えぎょうほうし)
出典:小倉百人一首47 拾遺集
現代語訳:
葎のおい茂った荒涼としたこの家はさびしく、訪れる人もないが、いちはやく秋だけはもうやってきたのだなあ
※この歌の解説ページ:
八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
しのぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで
読み:しのぶれど いろにいでにけり わがこいは ものやおもうと ひとのとうまで
作者と出典
平兼盛(たいらのかねもり)
百人一首 40 他「拾遺集」
現代語訳
誰にも知られないように秘めていた恋なのに、顔に出てしまったようだ。恋に悩んでいるのかと人にきかれるまでに
解説記事:
しのぶれど色に出でにけりわが恋は 物や思ふと人の問ふまで 平兼盛
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり
読み:あいみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもわざりけり
作者と出典
権中納言敦忠
百人一首 43 「拾遺集」
現代語訳と意味
あなたに実際に会って契りを結んだ後のこの恋しい気持ちに比べれば、会うより前の物思いなの何でもないものでしたよ
解説記事:
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 百人一首43 権中納言敦忠
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
作者と出典
右大将道綱母 百人一首53番 拾遺集
現代語訳と意味
あなたに会えないことを嘆きながら一人寝る夜の夜明けまでがどれほど長いものかご存じないでしょう
解説
右大将道綱母の歌。
「ものとかは知る」は係り結びなのですが、「知っていますか。知らないでしょう」ということで、そのつらさを相手に訴えているのです。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
読み:あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん
作者と出典
柿本人麻呂の作とされるが作者には諸説ある
「拾遺集」入集。「百人一首」「万葉集」に元歌がある
現代語訳と意味
山鳥の長く垂れた尾のように長い長い夜を、寂しく一人寝をするのであろうか
※この歌の解説
あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む/柿本人麻呂
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ の意味
読み:たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なおきこえけれ
作者と出典
作者:大納言公任 だいなごん きんとう(藤原公任 ふじわらのきんとう)
百人一首55番 『千載集』雑上・1035 拾遺集449
現代語訳:
滝の音は途絶えてから長い歳月が過ぎたけれども、その名前と評判は流れ続けて今もなお伝わっているものだ
解説記事:
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ 百人一首55番 藤原公任
拾遺集作者別の作品
作者別の代表作品をまとめます。
紀貫之の拾遺集の代表作品
春秋に思ひみだれてわきかねつ時につけつつうつる心は
名のみして山は三笠もなかりけりあさ日ゆふ日のさすをいふかも
をぐら山みね立ちならしなく鹿のへにける秋をしる人のなき
こてふにもにたる物かな花すすきこひしき人に見すべかりけり
世の中の人に心をそめしかば草葉にいろも見えじとぞ思ふ
恋ふる間に年の暮れなば亡き人の別やいとど遠くなりなん
明日知らぬ我が身と思へど暮れぬ間の今日は人こそ悲しかりけれ
夢とこそ言ふべかりけれ世中はうつゝある物と思ける哉
手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ
清原元輔の拾遺集の代表作品
春霞立な隔てそ花盛り見てだに飽かぬ山の桜を
とふ人もあらじと思し山里に花のたよりに人目見るかな
物も言はでながめてぞふる山吹の花に心ぞうつろひぬらん
いとどしく寝も寝ざるらんと思哉今日の今宵に逢へるたなばた
飽かずのみ思ほえむをばいかがせんかくこそは見め秋の夜の月
我が宿の菊の白露今日ごとに幾世積もりて淵となるらん
高砂の松に住む鶴冬来れば尾上の霜や置きまさるらん
冬の夜の池の氷のさやけきは月の光の磨くなりけり
降るほどもはかなく見ゆるあは雪のうらやましくも打とくるかな
朝まだき桐生の岡に立つ雉は千世の日つぎの始なりけり
君が世を何にたとへんさざれ石の巌とならんほども飽かねば
青柳の緑の糸をくり返しいくらばかりの春をへぬらん
動きなき巌の果ても君ぞ見むをとめの袖の撫で尽くすまで
いかばかり思らむとか思らん老いて別るる遠き別れを
み吉野も若菜つむらんわぎもこがひばらかすみて日数へぬれば
年ごとに絶えぬ涙や積もりつゝいとゞ深くは身を沈むらん
平兼盛の拾遺集の代表作品
たよりあらば いかで宮こへ 告げやらむ 今日白河の関を越えぬと
うらめしき 里の名なれや 君にわが あはづの原の あはでかへれば
あはづ野の あはでかへれば 瀬田の橋 こひてかへれと 思ふなるべし
斎藤女御
ことのねに 峯の松風 かよふらし いづれのをより しらべそめけん
松風の おとにみだるる ことのねを ひけば子の日の 心地こそすれ
世にふれば 又もこえけり 鈴鹿山 昔の今に なるにやあるらん
かつ見つつ 影はなれゆく 水の面に かく數ならぬ 身をいかにせむ
雨ならで もる人もなき わがやどを 浅茅が原と 見るぞ悲しき