未分類 歌人と作品

石川啄木「一握の砂」の短歌代表作品 現代語訳解説と鑑賞 たはむれに母を背負ひて

更新日:

 

石川啄木の短歌代表作歌集『一握の砂』より選んだ主要な短歌に、わかりやすい現代語訳をつけました。歌の中の語や文法の解説と共に、歌の解釈・解説を一首ずつ記します。
鑑賞の際の参考にしていただければ幸いです。

石川啄木の短歌代表作品 現代語訳付解説と鑑賞

目次


目次の各歌をクリックしてくだされば、解説の箇所へ飛びます。
原文は各短歌が三行に表記されています。スペースの関係で一行で表記するため、改行の箇所は字空けで示します。

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる

現代語訳
東海の小島の磯の白砂に私は泣き濡れて蟹とたわむれる


解釈と解説

「東海の小島の磯」は、函館の大森浜のイメージが根底にあるとされるが、実際の情景を詠んだものではない。この歌は歌集の最初であり、これから歌を記し始めるにあたって、啄木にとってはそれは「蟹と戯れる」と同等のものであった。

つまり、茫漠とした心境は「東海の小島の磯の白浜」であって、「蟹と戯れる」は短歌を詠むことと言った方がわかりやすい。歌の中にあるものは、実在のものであれ、すべてそのように仮託されたものであるといってよい。

 

頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず

 

現代語訳 
頬につたう涙をぬぐわずに一握の砂を示した人を忘れない

語の意味
「のごふ」・・・「ぬぐう」
示しし・・・「し」は過去の助動詞「き」の連体形


解釈と解説

本歌集題名『一握の砂』と関連があり、自分の作る歌を「一握の砂」とようにはかなくも虚しく悲しいものと考えている。つまり、歌の中の「人」は啄木自身である。

 

砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日



現代語訳
砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠く思い出す日


解釈と解説

歌の中に詠われるのは、初恋の美しさではなく「痛み」なのである。啄木が敗れたのは、結局、憧れに終わった小説という形式で書くことだったのであろう。恋の歌というも、「初恋」はそのメタファーである。

 

いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ

 

現代語訳 
いのちのない砂の悲しさよ 握るとさらさらと指の間から落ちる

語句と表現技法
2句切れ


解釈と解説 

指の間からさらさらと落ちる砂が悲しいのは、命がないからである。
啄木は自分の最終的に選ばざるを得なかった短歌という形式に重きを置いていなかった。
しかし、本人の考えはともかく、半面ありのままの自分が現れている啄木の歌は、けっして「いのちなき」砂と同列に並べることはできない。

 

大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり

 

現代語訳
大という字を百あまり砂に書いて死ぬことを止めて帰って来た

語句と表現技法 
来れり・・・旧かなは送り仮名が今とは違っており、「きたれり」と読む
「り」は存続の助動詞


解釈と解説

明治41年の2晩で100首以上を作ったことが、想像の元にあるのだろう。「大」という字であるということが大成を願っていた啄木らしいともいえる

 

たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き(かろき)に泣きて 三歩あゆまず

 

現代語訳
たわむれに母を背負って、その余りの軽さに泣いて三歩も歩むことができない

語句と表現技法
「軽き」は形容詞軽しの名詞形
「そのあまり」は「その、あまりにも」を縮めた言い方だろう


解釈と解説

集中最も有名な歌の一つ。
母をふざけておぶってみたら、あまりにも軽いことに気がついて、悲しくなったという心の動きが詠われている。

歌そのものにも脚色はあるだろうが、実際啄木の生活が困窮したのは、両親の扶助も行わなくてはならなかったからだとする説もある。
当初は富裕な寺の住職だった啄木の父は金銭トラブルで寺を出なければならなかったので、一家の生活が啄木の上にかかっており、父母に対する責任や負担もあったのには違いない。

 

わが泣くを少女等をとめらきかば 病犬(やまいぬ)の 月に吠ほゆるに似たりといふらむ

 

現代語訳 
私が泣くのを少女達が聞けば、病気の犬が月に向かって吠えるに似ているというだろう

語句と表現技法 
きかば・・・仮定の条件法「聞いたとしたら」の意味。


解釈と解説

月に向かって吠える犬のように、泣くことは虚しい行為なのだ。萩原朔太郎の『月に吠える』とのつながりも思い出させる。

 

こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂(しとげ)て死なむと思ふ

 

現代語訳
気持ちよく私にはたらく仕事があるように。それをやり遂げて死のうと思う


解釈と解説

現代でも仕事上の悩みは共通のところであり、共感を持って読むことができる。啄木が貧しいことの一因は、仕事を持たなかったことにある。小説家を志していたため、

無収入で書き続けていたためだったが、それが売れなかったのだった。
その後朝日新聞社に勤めたが、啄木には経済観念がなく、一家を十分に養うことができなかった。
ただし、啄木にしてみれば、気持ちよくできる仕事が見つからない苦悩があったのだろう。

愛犬の耳斬きりてみぬ あはれこれも 物に倦うみたる心にかあらむ

 

現代語訳
愛犬の耳を切ってみた。ああ、これもものごとに飽きてしまった心の思いつきであるだろう

語句と表現技法
2句切れ 「あはれ」は「ああ」という意味の間投詞


解釈と解説 

明治43年の歌が8割を占める中で、これは明治42年に発表の歌。いわゆるふざけた歌、啄木の言う「へなぶり調」の歌なのだが、その芝居気たっぷりな嘘に、ある心理的な真実がにじみ出ている。

なお、梶井基次郎の小説にも、猫の耳を改札の切符切りの道具で切ってみたいという場面が出てくるものもあった。

 

鏡かがみとり 能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ 泣き飽(あ)きし時

 

現代語訳 
鏡を手に取って、出来る限りのさまざまな顔をしてみた。泣くのに飽きたとき。

語句と表現技法
4句切れ
能うかぎり・・・できる限りの意味


解釈と解説 

明治41年作。4月末に北海道から上京して、友人金田一京助の下宿に転がり込み、小説家として立とうとするが、彼の書くものは文壇の受け入れるところとならない。掲載されたのは十数編のうちわずか1作のみであった。その頃の失意を詠ったもの。

 

わが髭ひげの 下向く癖(くせ)がいきどほろし このごろ憎き男に似たれば

 

現代語訳
私の髭の下を向く癖が腹立たしい。このごろ憎んでいる男に似ているので

解釈と解説
へなぶり調の中にさぐり当てた人生感情の真実がある。歌そのものは只事に見えても、社会生活をする上で、誰にでも共通して思い当たる感情はあるだろう。

「さばかりの事に死ぬるや」「さばかりの事に生くるや」 止よせ止せ問答

 

現代語訳 
「これだけのことに死ぬのか」「これだけのことに生きるのか」止せ止せ問答


解釈と解説 

当時新詩社の短歌にはこのような問答調の試みが流行っていた。
しばしば自殺の誘惑にかられた啄木のウィットに富んだ心の中の問答。

 

やはらかに積れる雪に 熱ほてる頬ほを埋うづむるごとき 恋してみたし

 

現代語訳
柔らかに積もる雪に火照る頬をうずめるような恋がしてみたい


解釈と解説 

啄木の歌には比喩を眼目とするものが多くあり、これもその一つ。

あたらしき背広など着て 旅をせむ しかく今年ことしも思ひ過ぎたる

 

現代語訳
あたらしい背広などを着て旅してみたい。そのように思うだけで今年も過ぎてしまった

語句と表現技法
2句切れ
しかく・・・然く[副]副詞「しか」+副詞語尾「く」そのように。そんなにの意味。


解釈と解説

何でもないささやかなお洒落への心の惹かれ。後の、萩原朔太郎の「旅情」「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん」(大正14年)と共通性が見られる。

 

一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと



現代語訳
一度でも私に頭を下げさせた人は皆死ねと祈ったこと(がある)

語句と表現技法
てし・・・完了の助動詞「つ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形


解釈と解説

啄木は「借金の天才」とも言われるくらいたいていの友人には借金があったという。なので、通常考えれば、親しい友人を含め、誰に対しても頭を下げたことはあったわけだが、そのようにひじょうに我が強く、傍若無人なところがあった。しかし、このような感情は、やはり万人に思い当たるところでもあり、それが啄木の歌が愛されるゆえんでもあるのだろう。

我に似し友の二人ふたりよ 一人は死に 一人は牢(らう)を出いでて今病やむ



現代語訳
私に似た友の二人よ 一人は死んで、もう一人は牢屋を出て今は病気になっている

語句と表現技法
二句切れ


解釈と解説

盛岡中学の同級生の研究会で、実際亡くなった友人がいるが、服役したモデルはおらず、虚構だと考えられている。自分に似た、というところで、これからの自分の先の暗さを暗示する。

 

はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る



現代語訳
働いても働いてもなお暮らしが楽になることはない。じっと手を見る

語句と表現技法
「はたらけど」のリフレインと、二句目に「なお」がつくリズムを味わいたい。


解釈と解説

明治43年家族を東京に呼び寄せることはできたが、生活は相変わらず苦しい。当時の職種は朝日新聞社の校正係であった。

以下若山牧水の評。

初句から4句までこの作者の癖の抽象的に言い下してきて、5句に及んで急に「ぢつと手を見る」とくだけて、病者風に詠んだところに言いがたい重みがあると思う。まったくこの5句には電気のような閃きがある。

或る時のわれのこころを 焼きたての 麺麭(ぱん)に似たりと思ひけるかな



現代語訳
ある時の自分の心を焼きたてのパンに似ていると思ったのであったよ

語句と表現技法
かな・・・詠嘆の助動詞


解釈と解説

啄木に多くある比喩で成り立つ歌の一首。「焼きたてのパンのような」を心を例えるのは、この時代ではことに新しく独創的である。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来きて 妻つまとしたしむ



現代語訳
友人が皆残らず、私よりもえらく見える日よ 花を買ってきて妻と親しむ


語句と表現技法
2句切れ。「買ひ来て」は買って来て の複合動詞


解釈と解説

明治43年作。誰でもが経験する心理ではあるが、啄木はその気持ちの振幅がことに大きかったようである。誰よりも自分を優れているとする自負心が強かったため、反動の自信喪失も大きかったようだ。
卑屈な心理ではあるが、下句のさわやかさに救われる。

病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも

 

現代語訳
病気のように故郷を思う心が湧く日だ。目に青空の煙が悲しいことよ

語句と表現技法
2句切れ。啄木の歌に2句切れは多い。
「思郷」は しきょう と読む。故郷を懐かしみ思う気持ちのこと。


解釈と解説

石をもて追われるように去って、再び変えることを自分に禁じている故郷への思慕は、啄木にとってはいわば病のようなものだった。
この一連101首のタイトルは「煙」。煙のようにはかないものという気持ちだろう。

また、東京での生活に疲れながら、消えがちな少年の日を思う心が、「青空の煙」を追う行為に通じるものがあったのだろう。ほとんどが43年の作。

啄木の歌に、すがすがしいものは、それほど多くはないのだが、故郷を思う歌は、抒情的なものが多い。

 

己(おの)が名をほのかに呼びて 涙せし 十四(じふし)の春にかへる術すべなし

 

現代語訳
自分の名前を小さくかすかに呼んで涙を流した。14歳の春に還る術はない。
語句と表現技法
2句切れ
ほのかに・・・かすかに


解釈と解説

青春期を懐かしむ歌。原作は41年、初稿の初句は「君が名を」であった。

 

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心



現代語
不来方のお城の草に寝転んで 空に吸われた十五の心

語句と表現技法
不来方(こずかた)の城とは、盛岡城のこと。

解釈と解説

本歌集の代表歌の一つ。「空に吸はれし」の主語は空だが、この表現でみずみずしく柔軟な少年の心が表されている。

 

ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場(ていしやば)の人ごみの中に そを聴きにゆく



現代語訳
故郷の訛りがなつかしい。停車場の人ごみのなかにそれを聴きにいく

語句と表現技法
2句切れ
停車場は駅のこと
そ・・・それ の代名詞

解釈と解説

東北線の列車が発着する上野駅の人込みの中に故郷の訛を聞きに行くとする、具体的な行為で、思郷の念を表す。

 

石をもて追はるるごとく ふるさとを出いでしかなしみ 消ゆる時なし

 

現代語訳
石をもって追われるごとくかのように ふるさとを出た悲しみは 消える時がない

語句と表現技法
かなしみのあとには、「は」または「の」の主格の助詞が省略されている。
したがって句切れはない。


解釈と解説

啄木の父一禎(いってい)は、寺の住職であったが、本山へ収めるべき費用を滞納して罷免。一年後に取り消しとなったので、復帰を試みたが、一部の村人の反対で復帰は妨害された。精神的に参った父は家を出てしまい、一家は離散。
啄木は二度と故郷を訪れようとはしなかった。

 

やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとくに



現代語訳
柔らかに春の柳が青くなる北上川の岸辺が目に見える。泣けというかのように

語句と表現技法
4句切れあをめる・・・青くなるの意味の「青む」の連用形

解釈と解説

まぶたに浮かぶ故郷の自然を泣かんばかりに懐かしむ。

「空に吸われし」と同じように、「吸う」のは空であり、「泣け」というのは「岸辺」である。自ら誘われる強い情緒を表すのに、対象物の擬人化された表現をとる。

 

ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

 

現代語訳
ふるさとの山は申し分がない。ふるさとの山はありがたいものだよ


語句と表現技法
3句切れ
かな・・・詠嘆の終助詞


解釈と解説

歌集の最初の方は、自嘲的な歌が多かったが、後半にかけて厳粛感が増してきた。

釈迢空の評:
この頃になると、啄木には、嘘もかけねもなく、いかにも、その心の底にある厳粛感がやさしさに充ちた調子で表現せられてきました

 

はたはたと黍(きび)の葉鳴れる ふるさとの軒端(のきば)なつかし 秋風吹けば

 

現代語訳
はたはたとトウモロコシの葉が鳴る故郷の軒端がなつかしい。秋風が吹けば

語句と表現技法
4句切れ 倒置法
鳴れる・・・鳴る


解釈と解説

風景の描写が主で、目だった主観句はないが、それゆえに心情がよく伝わるものとなっている。
故郷を詠む歌においては、啄木の強烈な自我は歌の情景の後ろに退く。そうして初めて詠まれたものが生きる歌となっている。これは啄木の比喩の歌についても言える。

 

かなしきは小樽(をたる)の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ



現代語訳
かなしいのは小樽の町よ 歌うことのない人々の声の荒いことよ

語句と表現技法
句切れと「よ」のリフレイン
「歌うことなき」とうのは、啄木が話したというように、詩歌を作るひとがないという意が根底にあるが、ここでは歌を歌わないという意味だろう。

解釈と解説

啄木は函館、札幌から小樽に職場の新聞社共に移り住んだが、小樽は田舎の町であり、人々は文化的ではないという雰囲気を指すのだろう。歌を歌わない人の声は美声ではないとの意。


石川啄木の短歌の特徴

中央公論社の「日本の詩歌」より。啄木の歌について。

啄木の歌はそれまでの短歌と全く違うばかりでなく、同時代の一流歌人たちとの作品とも性質を異にしている。その違いを簡単に言うと、啄木と同時代の代表的な歌人、北原白秋、斎藤茂吉などは、歌そのものの神聖視の気持ちを失うことはなかった。歌作は彼らにとっては生命を底に託するような至上の行為であり、遊び心などと縁のない仕事であったのに対し、啄木にとっては歌は遊びに近いものであった。歌作の中に自分の小説家になろうとしての失敗をあざ笑うような、投げやりな気持ちがあった。短歌が目指された文学上の第一のテーマではなかったのである。
私は(小説を)ついに書けなかった。その時、ちょうど夫婦喧嘩をして妻に負けた夫が、理由負なく子供を叱ったりいじめたりするような一種の開館を私は勝手気ままに短歌という一つの詩形を酷使することに発見した。
このような、生活の中から拾った感想の断片を無造作に歌の形式に投げ込んだものが、啄木の作歌道であった。
啄木の詩から受ける感銘は、生活そのものの中でわれわれの心を去来するところの、瞬間的な人間くさい感銘であって、白秋や茂吉のように和歌や詩の精神そのものの神聖視による、完璧な作品への願望が動機ではない。そういう意味で啄木は「悲しい玩具」と短歌のことを呼んでいた。
そしてそれが、万人の胸に真なるものとして訴えることとなった。彼の歌がことごとく、どこか投げやりに見え、しかも同時に真実の鏡のように見えるのは、以上のような独自の思想によるものであった。(以上山本健吉)

 


ランキングに参加しています。クリックで応援よろしくお願いします
にほんブログ村 ポエムブログ 短歌へ
にほんブログ村







おすすめ記事



-未分類, 歌人と作品

Copyright© 短歌のこと , 2018 All Rights Reserved Powered by STINGER.