どの子にも涼しく風の吹く日かな 飯田龍太 解説と鑑賞  

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どの子にも涼しく風の吹く日かな 飯田龍太 解説と鑑賞

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どの子にも涼しく風の吹く日かな 作者飯田龍太の教科書掲載の俳句の意味の解説、鑑賞を記します。

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どの子にも涼しく風の吹く日かな

読み:どのこにも すずしくかぜの ふくひかな

作者と出典:

飯田龍太 「忘音(わすれね)」

現代語訳

どの子にもひとしく涼しいさわやかな風の吹く今日の日であることよ

 

句切れと切れ字

切れ字「かな」

句切れなし

季語

季語は「涼し」 夏の季語

形式

有季定型

解説

飯田龍太の子どもに対するまなざしにやさしさのあふれた俳句。

この句の意味

屋外にいる子どもを含む情景に風という要素を加えて、子どもへの等しい親しさを表現する。

作者の感動の中心

屋外がいくらか熱くなり始めている季節に、子どもたちの誰しもに心地よい風が吹く。

一人も漏らさずに、風という自然の恩恵が子どもに届くことに、作者は安らぎを見出している。

俳句の背景

飯田龍太には3人の兄がいたが、病死と2人は先生で、大学卒業の前に3人の兄を亡くしている。

さらに、娘純子が6歳の時に死去。

飯田の子どもを詠む句とその視点には、これらの不幸が大きく関わっているといえる。

苦しみを知らない無邪気に遊ぶ子供たちに、作者は亡き娘を思い出していただろう。

そして、生きていたら、否、生きていなくても、一人の子どもの真間である娘にも、この「風」が届くだろうかと思いを馳せて板とは言えないだろうか。

この句の仏の慈眼にも似た、子どもへのまなざしはそうした体験に裏打ちされている。

角川ソフィア文庫の井上康明氏の解説だと

子供たちが校庭のようなところで遊んでいる。そこへ涼しい風が吹いて来て、そこにいる子供たちに吹き渡る。子供は、立っている子もいれば、坐っている子もいる、そのすべての子に風は涼しく吹き渡る。

となっている。参考までに挙げさせていただく。

私自身のこの俳句の感想

様々な位置にある、数もたくさんいる子どもに、風が同じように当たるかどうかはわかりませんが、作者が「どの子にも」というのは、そのような願望もあるのでしょう。子どもには皆ひとしく幸せになってほしいという、作者の慈愛に満ちたまなざしにしみじみと心を打たれます。

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各俳句の解説はリンク先の記事で読めます。

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