月の和歌は新古今集と新古今集の時代に編まれた百人一首ではどのように詠まれているでしょうか。
月を題材に詠んだ和歌のもっとも有名なものを、新古今集と百人一首からまとめてご紹介します。
スポンサーリンク
月を詠んだ和歌
古来より洋の東西を問わず、月は万人に眺められ人の心に光を投げかけてきました。
月を詠んだ短歌や和歌は古い時代から数限りなくあります。
月はそれだけに暮しに密着した身近な題材であるといえるでしょう。
関連記事:
月の短歌 現代短歌より
中秋の名月と月見
中秋の名月とは、いわゆる十五夜として呼びならわされているものです。
中秋の名月は旧暦(太陰太陽暦)の8月15日の夜に見える月のことをいいます。
中秋の名月をめでる習慣(月見、観月)は、平安時代(9世紀ごろ)に中国から伝わったと言われています。
平安時代の有名な月の歌
月見が始まった平安時代の有名な歌と問われてまず思い浮かぶのはやはり、藤原道長の下の歌です。
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
作者は藤原道長は平安時代の人で、「望月」というのは満月のこと。
自分の望みに欠けたところがないということと、欠けるところのない満月とを重ねてあらわしたものです。
藤原氏一族の栄華を極めた心境が推し量れる一首ということで、歴史の証としてもよく取り上げられて人々に記憶されています。
この歌の詳しい解説は
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば 藤原道長
それでは新古今集の月の有名な和歌を詠んでいきましょう。
これより古い時代の万葉集と古今集の月の和歌も併せて読んでみてください。
新古今集の月の和歌
「新古今和歌集」の歌数は約1980首です。
月の和歌は新古今集に収録された作品はたいへん多く、280首以上あるといわれています。
そのうち秋の月を詠んだものは百首あまりで、月の歌の総数の3分の1を占めています。
そのうちの名作は百人一首に収録されているので、百人一首の歌としてまとめます。
全部はあげきれないので、有名なものを先にあげていきます。
梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ
現代語での読み:うめのはな においを うつす そでのうえに のきもる つきの かげぞ あらそう
作者と出典
作者:藤原定家 新古今和歌集 巻第一 春歌上 44
現代語訳と意味
梅の花が匂いを移している私の袖の上に、軒端をもれてさし入る月の光が上の匂いと競い合って映っている
※この歌の詳しい解説は
梅の花にほひをうつす袖の上に軒もる月の影ぞあらそふ 藤原定家
帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月
読み: かえるさの ものとやひとの ながむらん まつよながらの ありあけのつき
作者と出典
藤原定家
新古今和歌集 巻13・恋歌(三)・1206番
現代語訳と意味
他の女性のところから帰るときの月として、あの人はこの月を眺めているのでしょうか。あの人の来るのを待って夜が明けてしまい、有明の月として私は眺めていますのに
※この歌の詳しい解説は
帰るさのものとや人のながむらん待つ夜ながらの有明の月 藤原定家
志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月
現代語での読み: しがのうらや とおざかりゆくなみまより こおりていずる ありあけのつき
作者と出典
藤原家隆 (新古639)
現代語訳と意味
志賀の浦を遠ざかっていくと、夜が更けて沖へ遠ざかってゆく波の間から冷たい光を放つ夜明けの月が見える
※この歌の詳しい解説は
志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有明の月 藤原家隆
新古今和歌集の秋の月の和歌 歌人別
新古今和歌集の秋の月を詠んだ100首余りの中の歌から、有名な歌人によるものを歌人別にまとめます。
藤原俊成女の月の歌
大荒木の杜の木の間をもりかねて人頼めなる秋の夜の月 0375
ことわりの秋にはあへぬ涙かな月の桂も変る光に 0391
稲葉吹く風にまかせて住む庵は月ぞまことにもり明かしける 0428
あくがれて寝ぬ夜の塵の積もるまで月に払はぬ床のさむしろ 0429
※俊成女代表作
藤原家隆の月の歌
有明の月待つ宿の袖の上に人頼めなる宵の稲妻 0376
鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり 0389
秋の夜の月や雄島のあまの原明方ちかき沖の釣舟 0403
ながめつつ思ふもさびし久かたの月の都の明けがたの空 0392
※家隆の代表作
風そよぐ楢の小川の夕暮は禊ぞ夏のしるしなりける 百人一首98 藤原家隆
慈円の月の歌
いつまでか涙曇らで月は見し秋待ちえても秋ぞ恋しき 0379
ふけゆかばけぶりもあらじ塩釜の恨みなはてそ秋の夜の月 0390
憂き身にはながむるかひもなかりけり心に曇る秋の夜の月 0404
雁の来る伏見の小田に夢覚めて寝ぬ夜の庵に月を見るかな 0427
大江山かたぶく月の影さえて鳥羽田の面に落つる雁がね 0503
秋深き淡路の島の有明にかたぶく月を送る浦風 0520
長月も幾有明になりぬらむ浅茅の月のいとどさびゆく 0521
秋を経て月をながむる身となれり五十の闇をなに嘆くらむ 1539
和歌の浦に月の出で塩のさすままに夜鳴く鶴の声ぞかなしき 1556
和らぐる光にあまる影なれや五十鈴河原の秋の夜の月 1880
※慈円の代表作
藤原良経の月の歌
古里の本あらの小萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ 0393
時しもあれ古里人は音もせでみ山の月に秋風ぞ吹く 0394
深からぬ外山の庵の寝覚めだにさぞな木の間の月はさびしき 0395
雲はみな払いはてたる秋風を松に残して月を見るかな 0418
月だにもなぐさめがたき秋の夜の心も知らぬ松の風かな 0419
行く末は空もひとつの武蔵野に草の原よりいづる月影 0422
里は荒れて月やあらぬと恨みてもたれ浅茅生に衣打つらむ 0478
わくらばに待ちつる宵も更けにけりさやは契りし山の端の月 1282
寂漣法師の月の歌
月はなほもらぬ木の間も住吉の松をつくして秋風ぞ吹く 0396
ひとめみし野辺のけしきはうら枯れて露のよすがに宿る月かな 0488
高砂の松も昔になりぬべしなほ行末は秋の夜の月 0740
※寂漣法師代表作
鴨長明の月の歌
ながむればちぢにもの思ふ月にまたわが身ひとつの峰の松風 0397
松島や潮汲む海人の秋の袖月はもの思ふならひのみかは 0401
藤原顕輔の月の歌
秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ 0413
秋の田に庵さす賤の苫をあらみ月とともにやもり明かすらむ 0431
※藤原顕輔代表作
秋風にたなびく雲のたえ間よりもれいづる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔
式子内親王の月の歌
ながめ侘びぬ秋よりほかの宿りかな野にも山にも月やすむらん 0380
宵の間にさても寝ぬべき月ならば山の端近きものは思はじ 0416
更くるまで眺むればこそ悲しけれ思ひも入れじ秋の夜の月 0417
秋の色は籬にうとくなりゆけど手枕なるる閨の月かげ 0432
更けにけり山の端ちかく月さえて十市の里に衣うつこゑ 0485
有明のおなじながめは君も問へ都のほかも秋の山里 1546
藤原定家の月の歌
さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月を片敷く宇治の橋姫 0420
秋とだに忘れむと思う月影をさもあやにくに打つ衣かな 0480
ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影 0487
宮内卿の月の歌
心ある雄島の海士の袂かな月やどれとはぬれぬものから 0399
月をなほ待つらむものか村雨の晴れゆく雲の末の里人 0423
まどろまでながめよとてのすさびかな麻のさ衣月にうつ声 0479
霜を待つ籬の菊の宵の間におきまよふ色は山の端の月 0507
紫式部の月の歌
曇りなく千歳に澄める水の面に宿れる月の影ものどけし 0722
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな 1499
西行法師の月の歌
月を見て心うかれしいにしへの秋にもさらにめぐり逢ひぬる 1532
夜もすがら月こそ袖に宿りけれ昔の秋を思ひ出づれば 1533
捨つとならば憂き世をいとふしるしあらむわれ見ば曇れ秋の夜の月 1535
その他歌人の月の歌
いづくにか今宵の月の曇るべき小倉の山も名をや変ふらむ 大江千里0405
頼めたる人はなけれど秋の夜は月見で寝べき心地こそせね 和泉式部0408
身にそへる影とこそ見れ秋の月袖にうつらぬ折しなければ 相模 0410
風吹けば玉散る萩の下露にはかなく宿る野辺の月かな 法性寺入道前関白太政大臣 0386
思ひきや別れし秋にめぐり逢ひてまたもこの世の月を見むとは 藤原俊成 1531
百人一首の月の和歌
百人一首の月の歌は12首、月と明言されていないものを含めると13首ありますが、いずれも名作と言っていい歌ばかりです。
古今集と新古今集から百人一首に収録された月の歌は、いずれもたいへん有名な名歌として鑑賞されているものばかりです。
現代語訳をつけてご紹介していきます。
※百人一首の全作品はこちらから
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
読み:あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
作者と出典
阿部仲麻呂
百人一首7番 古今和歌集 9-406
現代語訳と意味
大空のはるかに振り仰ぐと月が出ている。
あの月は、昔わがふるさとの春日(かすが)にある奈良の三笠の山に出たのと同じ月なのだろうか
※この歌の詳しい解説は
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿部仲麻呂
今こむと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな
読み:いまこんと いいしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな
作者と出典
作者:素性法師 (そせいほうし)
出典:小倉百人一首21 古今和歌集 691
現代語訳:
あなたがすぐに来ると言ったので、9月の有明の月まで待ち明かしてしまった
※この歌の詳しい解説は
今こむと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな 百人一首21番 素性法師
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど
読み:つきみれば ちじにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど
作者と出典
作者:大江千里
出典:『古今集』193 百人一首23番
現代語訳:
月を見れば、様々に思いが乱れて悲しいものだ。別に私一人のために秋がやってきたというわけでもないのに
※この歌の詳しい解説は
月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど 大江千里
有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
読み: ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし
作者と出典
壬生忠岑(みぶのただみね)
古今和歌集 625
現代語訳と意味
有明の月が女との別れの時に、素知らぬ顔で無常に空にかかっているのを見て以来、暁ほどつらく悲しいものはないと思うようになった
※この歌の詳しい解説は
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑
朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪
読み:あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき
作者と出典
作者:坂上是則(さかのうえのこれのり)
出典:百人一首31番 古今集 冬332
現代語訳:
夜明けのほのかに空の明るむころ、月の光と見まごうまでに、吉野の里に降る白雪よ
※この歌の詳しい解説は
朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる白雪 坂上是則 百人一首31
夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらむ
作者:清原深養父(きよはら の ふかやぶ)
出典
古今集 百人一首36
現代語訳:
夏の夜はまだ宵の口だと思っているうちに、もう夜が明けてしまうくらい短い。
これではいったい雲のどの辺りに、月はとどまっていられるのだろうか。
※この歌の詳しい解説は
夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらむ 清原深養父
めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな
作者は紫式部
百人一首の57番の歌です。
現代語訳
久しぶりにめぐり会ったのに、それがあなたかどうかも分からない間に帰ってしまうなど、早くも雲に隠れてしまった夜中の月のようですね
やすらはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
作者は赤染衛門
百人一首の59番の歌
現代語訳
来ないと知っていたらためらわずに寝てしまったのですが、あなたが来ると思って待っていたので夜が更けて西の空にかたむくほどの月を見てしまいましたよ
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
作者は三条院。
百人一首の68番
現代語訳
心ならずつらいこの世に生きながらえていたならば恋しく思い出すにちがいない、この美しい夜更けの月であることよ
秋風にたなびく雲のたえ間よりもれいづる月の影のさやけさ
作者:左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)
出典:百人一首 79 『新古今集』秋・413
現代語訳:
秋風によって空に細くたなびいている雲の切れ間から、地に差す月の光の清らかさよ
※この歌の詳しい解説は
秋風にたなびく雲のたえ間よりもれいづる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
読み:ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる
作者と出典
百人一首 89 他に千載集(巻3・夏・161)
作者:後徳大寺左大臣 (ごとくだいじのさだいじん) 別名 藤原実定
現代語訳と意味
ほととぎすの鳴いている方を眺めてみたが、ほととぎすはおらず、夜明けの月が残っているばかりだった
※この歌の詳しい解説は
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
読み: なげけとて つきやはものを おもわする かこちがおなる わがなみだかな
出典
西行法師 百人一首86番 『千載集』926
現代語訳と意味
「嘆け」と言って、月が私を物思いにかりたてているのだろうか。そうではない、恋の悩みを月のせいとする私の涙なのだよ
※この歌の詳しい解説は
西行法師の百人一首の和歌 嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
月を詠んだ有名で代表的な短歌を、新古今集と新古今集の時代に編纂された百人一首からまとめました。
今夜の月を眺めながら思い出してみてくださいね。